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2002.08.20号(交通)

山田俊彦氏写真展
■■ 〜第五回・メキシコの鉄道〜 ■■

注:全ての写真の著作権は山田俊彦さんに帰属します。無断でのご使用はご遠慮ください。
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写真展第五回目は、いまではほとんど見かけることがなくなった「メキシコの鉄道」です。現在のメキシコでは、長距離輸送の担い手は飛行機またはバスで、鉄道はすっかり廃れてしまっています。さびた線路に草がぼうぼうと生い茂っていて、なんとも言えない哀愁が漂っているのです。

INDEX ◆◆

メキシコの鉄道について 
鉄道写真
 機関車
 客車
 内装
 鉄道風景

●● メキシコの鉄道について ●●

 山田さんはメキシコの鉄道の写真を熱心に撮られました。「これだけは本気で撮りまくり調べたのでクドイですが本邦初公開です」とのお言葉通り、興味深い写真のかずかず! メキシコの旅客列車といえばチワワ太平洋鉄道に乗ったことがある人はちらほらいるものの、列車の旅をされた方は相当の年配の方だけのはず、と山田さん。山田さんからメキシコの鉄道のことを教えていただきました。

「メキシコはかつて鉄道王国であり、路線延長は26000Kmで日本と同じぐらいで、1910年にはすでに19000km敷設され、ほぼ全国をカバーしていました。国鉄が分割民営化されてからは、採算の悪い旅客部門が廃止され、残っているのはチワワ太平洋鉄道,グアダラハラで週末のみ運行されるテキーラ急行と、僅かに短距離ローカル列車が存在するのみになってしまったそうです。メキシコの鉄道は歴史も古く、1850年にベラクルスで営業を開始して、1873年メキシコ市までの470Km全線が開通しました。1864年にはシカゴまでの直通列車も運転されるようになり、米国との交通は飛躍的に便利になりました。この路線は1970年代まで運行されていました。旅客列車の全盛期は1980年代までで、それでも90年代初期まで寝台列車が活躍していました。」


アギラアステカ号
DF−ヌエボラレード間
36時間

また旅客鉄道にはどんなタイプのものがあったのかについても、詳しく教えていただきました。

展望車

後部の展望席とラウンジ,バーからなり中間のサロンカーと共にプルマンの乗客は何時でも使える

食堂車

オーブン,レンジは薪と石炭で加熱 駅に行くとSLが何処かに居ると思う匂いがした,メニューも豊富で味も中々

寝台車

種類の多さは驚嘆には米国の全ての型が来ていました,一番安いのは日本の旧グリーンの開放型寝台と同じ物でこれだけはトイレ洗面台が付いていない,一人部屋個室,2人個室(仕切りを外すと4人部屋になる)3人個室ですが各車両によってそれぞれアコモデーションが異なりどれに当たるか楽しみでした。寝台車は米国のプルマンの子会社が運営していたが1976年に国有化されSCD(寝台サービス会社)に業務は移行された

特別1等車

エアコン,リクライニングシート付きの元々少ない輸入車が底をついたので 近畿車両が当初輸出その後はCNCF国有車両会社(現ボンバデイア社)でライセンス生産した

一般客車

1,2等からなり乗客は上記の車両には立ち入り出来ない,車内は和気藹々で沢山の荷物や小家禽で満杯ですがメキシコの一般大衆と触れ合う楽しみが有りました

優等列車は大体が一日一本でダイヤ通に着く事は珍しく、途中の駅の時刻表示板は列車名だけ書かれて時刻は白墨で今日は何時に出発と記入するようになっています。これぞメキシコ的サービスで、これを気にする人は鉄道には乗れません!

●● 鉄道写真 ●●

 

◆◆ 機関車 ◆◆

galeria_f/gavia01.jpg

F7A+B(1951製)デイ―ゼルの初期に大活躍した機関車
(日本のD51の様に人気がある)
約1万台生産されてメキシコにも90台ほど輸入された

↑67年英国メトロポリタン キャメル社製(ロールスロイス275馬力)から39両購入。DF−プエブラ,チワワーCDフアレス,モンテレーーマタモロス間で使用された

↑62年チワワ鉄道開業当初に2両編成で昼間運転された。デイーゼルカー

↑オリサバ峠越えに1960年代まで使用された 電気機関車で強力なデイ―ゼルの出現で廃止された

↑狭軌最後の蒸気機関車でDF−プエブラ間で72年まで使用されていた(69年撮影)Baldwin 1921年製 G30型 製造番号55053

↑唯一の狭軌ディ―ゼル機関車(GM製) DFサンラサロ駅−プエブラ間310kmををクアウトラ経由で12時間かかった 床下の電気モーターからプロペラシャフトで車輪を回す珍しい型

↑DF−ケレタロ間の電化用に1982/3年39両購入 架線工事が完了したのが1994年なので12年間お蔵に入っていたのはメキシコならでは(理由はご推察に任せます)内6両は既に事故で消失している

↑アグアスカリエンテス工場で大量に組み立てられているGEのU30C型

↑テシウトラン銅山鉄道(後に国鉄に編入)で使用していたSHAYの機関車 米国の森林鉄道で大活躍した急勾配とカーブの為に小さな車輪を歯車で回す珍しい機構(台湾の阿理山鉄道にある)

 

◆◆ 客車 ◆◆

大統領専用車 
1926年5両編成でプルマンに恐るべき価格(80万ドル)で発注
最後の公式使用は70年代にエリザベス女王訪墨時グアナフアウトまで運転
現在はチャプルペテックに展示されている

↑59年プルマン製元グレートノーザン鉄道のAmerican Sunset 内部は3種類の寝台がある

↑典型的なプルマン重量型1925年製で70tもある。10の開放型寝台と3コンパートメント

↑ミルウォーキー鉄道自家工場34年製でハイアワサの名の特急で使用された。窓の上部の半月形が特徴

↑お馴染のフランス製(現在は国産)。69年オリンピックに間に合わず、開通式の日にフラン切り下げが有り新聞は二重の喜びと報じた。保全が良くなく、ゴムタイアが破損し中の針金が第三軌条とショートしてよく火災を起こす。メキシコ三菱電機製のモーター、制御機器1500台分を納入 現在は国産されている。

↑Club Cuitlahuac
元ニューヨークセントラル鉄道の20世紀号で使用された展望車 1948年製で9両がメキシコに売却された

↑スイス製展望車Club Mexica 52年製 同型3両保有

↑近畿車両製。130両が活躍 。なんとなく日本で見かける車と似ていませんか? でも大きいです

↑ベラクルスの市電、1920年代Burill製。暑い所なので見事な開放型で有名 80年代に廃止になったときに米国中の博物館が先を争って買い求めた

↑DFで活躍したミネアポリスの中古PCC型。現在は東芝と三菱電機のモーターのトロリーバスが働いている。

 

◆◆ 客車内部 ◆◆

大統領専用車内部

↑1925年製 元NYCのRed Lake。昼間のプ ルマン開放型寝台車

↑ニューヨークセントラル鉄道で使用した展望車

↑Mandiga 27年製元シカゴノーザン鉄道1023号車 バッテリが老朽化し停車すると停電・・・

↑昼間の寝台車の座席 2部屋をつなげたところ

↑スイス製展望車のバー,ビュッフェ部分

↑チワワ鉄道で使っていたビスタドームカー 元CRIP鉄道のWichita

↑49年製元NYCのSunrise Brook 現在は鉄道会社の幹部視察用に使用されている

 

◆◆ 鉄道風景 ◆◆

駅で何時間も待つ。オアハカ駅で。

 

↑寝台急行到着。ベラクルス駅。赤帽ならぬ白帽子が群がって来た

↑DF−プエブラの狭軌路線 チョルーラ駅にて如何にも当時のメキシコが偲ばれる67年撮影

↑貨車は引き込み線に入れて鉄道官舎となる 時々居住者を入れたまま回収される

 

↑両手に鶏を持って乗車。クエルナバカ駅で。ありふれた風景

↑駅の到着時刻表。DF駅で。予定時間はその日毎に替わる 発車時刻表は固定

山田俊彦さんプロフィール

1967年から3年間、駐在員としてメキシコに滞在。その後、仕事で10回以上,遊びを兼ねて数回訪墨し、滞在期間を合わせると延べ5年間ほどになります。その間撮った写真が数千枚!きっちりPCに保存されていて、お宅を訪問したayaもkanaeもひたすらその整理術に脱帽。。。メキシコ以外の旅行もたくさんなさっており、今一番のお勧めは「チュニジア」。メキシコについては鉄道もお詳しく、今ではほとんど不可能な「メキシコ・列車の旅」をたくさん実現なさったとのこと。音楽から民芸品から食べ物から、何から何までメキシコのことを心から大切に思っておられるのが、暖かなお話ぶりから伝わってきました。

(kanae)


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