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2003.05.06号(民芸品)

山田俊彦氏写真展
■■ 〜第七回・メキシコの民芸品〜 ■■

注:全ての写真の著作権は山田俊彦さんに帰属します。無断でのご使用はご遠慮ください。
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山田俊彦さんのプロフィールはこちら!

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写真展第七回目は、メキシコの民芸品です。メキシコには地方色豊かな手作りの民芸品がたくさんあり、お土産に事欠きません。メキシコらしいカラフルな色使いが美しいものや、繊細な細工が施されたもの、ちょっと不思議な動物たちなど、見ているだけで楽しくなります。メキシコに行かれた方は、ついたくさん買い込んでしまって日本で置き場に困った、というような経験をお持ちの方も多いのでは!? かくいう私もその一人です。でも見ていると欲しくなっちゃうんですよね・・・。家の中はすっかり、メキシコの民芸品だらけになっています。

以下に紹介する写真は、山田さんの個人コレクションや実際に作家を訪ねられた時のもので、エピソードや説明は山田さんにうかがったものです。

オアハカで焼物を作るドニャ・ロサ。1968年の写真。

 メキシコ各地を旅して沢山の写真を撮ってこられた山田さんですが、民芸品もただ買うだけでなく、その産地にできるだけ足を運ぶように心がけられたそうです。メキシコシティでもいくつかの大きな民芸品市場に行けばいくらでも各地の民芸品を手に入れることができますが、やはり実際に作っている現場を見たりしたほうが作品に対する愛着も違ってきます。山田さんご自身も、思いがけずその後大家となった作家たちと会えたことがとても懐かしい思い出になっているとのこと。また、「数年前にメキシコで出版された、現代の有名作家を網羅した本 Grandes Maestro del Arte Popular Mexicano は民芸品愛好家には欠かせない本です」とご紹介くださっています。興味をお持ちの方は是非ご覧下さい。山田さんの収集品の中にある民芸品を作った作家の写真もたくさん載っており、大満足されているそうです。

山田さんがご紹介くださっている本はここ↓で見られます。英語とスペイン語があり豊富な写真で民芸品が紹介されています。

http://americanindian.si.edu/exhibitions/gm/enter.html

マヌエル ヒメネス オハカのアラソラ

マヌエル・ヒメネスの仕事場

さながらショールーム?

作家と記念撮影

サイン中の息子と靴を履いてきた夫人

かえるとアルマジロ

ハリネズミと魚

上の4枚は山田さんのコレクションの一部。保管しているうちに色がはげてしまいました、とのこと。

 「1968年の大晦日、オハカを去る直前に街の店先に、紫色の牛の体に箆鹿の角を持った奇妙な木の動物を見つけ、雷に遭った多様な衝撃を受けた、(今度会ったら馬のを特注したいです)もっと無いかと訪ねたが、これ一つしかないとの返事に、次回来る時に追加をと思い作者と居所だけをメモしておいた。

 帰国した直後、浜田庄司氏が土門拳氏の写真で雑誌の私のコレクションとしてサンフランシスコで、店にある全部30体を求めたと紹介してあり、正にこの動物ずばりと貴重さが一気に募った。

 次回の訪問、77年に、オハカに着くと、その足でアラソラに直行した、小さな家でマヌエルヒメネスは裸足で簡単な道具のあ机に向かって、黙々と小刀を振るっていた。作品は土間に無造作に並べてあり、早速めぼしい物をあれこれと手に入れる。戻る途中、「今日は久しぶりに現金が入ったから、彼は今夜、一杯やるのだろう」と話しながら後ろを振り向くと、既に帽子を被り靴を履いたヒメネス氏が歩いて来る。どうやら飲みに出かける様子。思わず大笑いした。

 ホテルに戻り、風邪で一緒に行かなかった友人にみせると飛び上がって、明朝行こうと大いに乗り気。翌朝再び訪れると、案の定ヒメネス氏、二日酔いで起き上がれない。奥さんと息子が応対する、皆で殆んど全部をお買い上げ。

 一家は盆と正月が一緒に来たような喜び様。本人のサインが欲しいので起して、と無理を頼むと、息子のアンヘリコが親子だから同じといって彼に替わって作品にサインしてしまった。次に写真を撮ろうとしたら、奥さんが一寸待ってと奥に入った。化粧か着替えと思いきや、靴を履いて出てきた。

 彼は木彫り動物の元祖で、手足尻尾を別に作って、釘で打ち付け組み立てる方法を考案し、これで造形の自由度が拡大し、作品の種類も多くなった。現在、観光客に媚びるような極彩色の奇妙な形の動物がアレブリヘスとして有名になったが、当時はこの様なものは全く無かった。が、彼の作品の延長線上で出来たのは間違いない。その代わりに、この素朴な動物は中々手に入らなくなった。ヒメネスは米国で今や超有名人で、その作品は多くの書籍で紹介されて、我々の手の届かない値段になって仕舞った。」

ドニャ ロサ オアハカのコヨテペック

「有名な黒陶器は、彼女の工房で1930年代から作られて来た。作品はスミソニアン博物館にも収納されている。68年訪ねたときは、撮った写真は一枚のみ。次回77年、作業場は10年前そのまま。轆轤を使わず、2枚の皿で廻して、忽ちのうちに見事に壷が出来上がる。実演が終わるとショールームで自ら売り子となる。父が梟を集めていると言ったら、落ちている釘でサインしてくれた。大きな壷を買わなかったのが今もって悔やまれて仕方が無い。彼女は80年に亡くなり、今や伝説の人となって銅像が建っている。」

77年のドニャ・ロサ。

釘でサインをしてくれた。


すべて笛。かわいらしい音がします。

電灯の傘

繊細な作品のかずかず

アギラール姉妹 オアハカ オコトラン


母親の作品


娘の作品

「此処では、可愛い動物の土鈴を買った。作者には会わず仕舞いであった。現在は、娘のアギラール4姉妹が有名人となって、海外でも知られている。吉祥寺ラブラバ(注・カフェメヒコのリンク集のメキシコ関連オンラインショップのコーナーからリンクしています)の山本さんが今仕入れていて、姉妹の作品はは母親から習ったと言ってましたと教えて下さった。調べたところ母親の名はIsaura Alcentra。正にそのもの期せずして、我が家で35年を経て親子の作品が並ぶことになった。身贔屓か、母親の作品の方が表情が豊かでダイナミック。その上音が微妙に心地よく、4姉妹にはとても及ばない気がする。」

オハカの民芸品のサイト

http://www.oaxacaoaxaca.com/artisans.htm

ゴルキー ゴンサレス グアナフアート


作品カタログ 

http://www.gorkypottery.com/

「今や陶芸家として知らない人は無い、人間国宝の彼との初対面は、1967年の暮れ。泊まったホテルのオーナーが、ここに唯一人の日本人が居て寂しがっているので是非訪問して下さい、と車で連れて行って呉れた豪邸が、彫刻家のゴンサレス家。現れたのが帰国早々の赤ん坊を抱いたゴルキーと、とし子夫人であった。ゴルキーは、岡山で備前焼の人間である国宝藤原雄氏の下で修行し、帰国後グアナフアートで絶えていたマジョルカ焼きを、自分の作風で見事に復活させた。今やメキシコを代表する窯元となっている。その時抱いていた赤ん坊がロドルフォで、30年後メキシコの思わぬ処で再会し、その後東京の大使館に文化担当参事官として3年駐在、3回目の再会となる。全くの偶然と言うか運命というか、不思議な縁で結ばれた出会いである。」(注・ゴルキー氏の作品は、前出の吉祥寺ラブラバにて大量入荷・販売中です。ネットショップでも購入可能です。)

67年の作品↓↓

最近の作品↓↓

67年のゴルキー氏。*ご家族の許可を得て掲載しています。

67年、ゴルキー氏の父上と、とし子夫人と。

99年の再会。山田さんの奥様はなんと34年ぶりの再会!

2003年正月のゴルキー氏。後ろにあるのは100年前のグアナファトマヨルカ焼。

山田俊彦さんプロフィール

1967年から3年間、駐在員としてメキシコに滞在。その後、仕事で10回以上,遊びを兼ねて数回訪墨し、滞在期間を合わせると延べ5年間ほどになります。その間撮った写真が数千枚!きっちりPCに保存されていて、お宅を訪問したayaもkanaeもひたすらその整理術に脱帽。。。メキシコ以外の旅行もたくさんなさっており、今一番のお勧めは「チュニジア」。メキシコについては鉄道もお詳しく、今ではほとんど不可能な「メキシコ・列車の旅」をたくさん実現なさったとのこと。音楽から民芸品から食べ物から、何から何までメキシコのことを心から大切に思っておられるのが、暖かなお話ぶりから伝わってきました。

(kanae)


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