オトキータ、狐につままれる!? の巻

これは、私がまだ某日系ホテルに勤めていた頃のお話。メキシコで迎える初めてのクリスマスが近づいた、ある日の出来事である。

帰宅後、すぐ床に着いた。時刻は夕方の5時過ぎ。窓の向こうから、子供たちの叫び声やボールを蹴る音が聞こえてくる。日本を離れて、はや7ヶ月が過ぎようとしていた。私のスペイン語はまだまだ覚束なく、勤務中たえず緊張していた。そのため、家に帰ると疲れがどっと出てしまい、ひたすら眠る日々。当時、留学中で、一緒にアパートを借りていた大学時代の同級生は、まだ学校から戻っていなかった。

ふと目覚めて時計を見ると、驚き桃の木! 時計の針は午前7時を指していた。

(ヤバイ! 寝過ごした!)

私は第1シフト勤務(午前7時〜午後3時迄)だったから、普段ならこの時間、もうフロントにいるはず。通常、20分以上遅刻した者は家に帰らされ、かわりに第3シフト(午後11時〜翌朝の7時迄)の誰かがそのまま居残るはめになる。それがいかにキツイことであるか、私はすでに身をもって知っていた。

ベッドから飛び起き、シャワーを浴びて着替えること10分。すぐさま外に飛び出した。が、その日予定されていたクリスマス会で渡すプレゼントを忘れたことに気がつき、慌てて取りに戻る。数秒後、紙袋を手に、今度は猛ダッシュで駅を目指す。

アウディトリオ駅に到着。足早に改札を抜け、地上に出た。すぐ真正面にホテルが見える。私は従業員口から中に入った。

「ブエノス・ディアス!」 (おはようございます。)

警備員のおじさんに元気よく声をかけ、従業員ナンバーを告げる。彼からタイムカードを受け取ると、ガシャリ、とそれを機械に通した。

フロントの裏口の、重い金属扉はかたく閉ざされていた。(間に合わなかったか…。)髪の毛はまだ濡れている。ドンドンドンドン…。試しにドアを叩いていたら、扉が開いた。

「ケ・パソ?」(どうしたの?)

宿泊部長の秘書アドリアナだ。

「オラ、グラシアス。」(ありがとう。)

私は早口で礼だけ言うと、彼女の脇をすり抜ける。

幸い、上司の姿は見当たらない。(ホッ。何とか間に合った…。)安堵感とともに室内を見まわす。と、そこには、第2シフト(午後3時〜夜の11時迄)の顔ぶれが…。

(ん? あ、そっか。10時からのプレゼント交換会が待ちきれなくて、みんな早めに来ちゃったんだね。何てカワイイひ・と・た・ち。)

ひとり納得する私に、同僚たちが口々に訊いてきた。

「ケ・パソ?」(どうしたの?)

「セ・テ・オルビド・アルゴ?」(忘れ物?)

「へ? ま・さ・か…。」

そうなのだ。そのまさかだったのだ。時刻は“夜”の7時半過ぎ。彼女たちは早く来たのではなく、まさに“勤務中”であった。(何てこと!) 私はたった2時間しか熟睡していなかったのだ。それなのに、寝ぼけて“翌朝”だと思いこみ、ガタゴト電車に揺られてやってきた。シャワーを浴びて、制服にまで着替えて…。普通、途中で気づくでしょ? ただただガク然とする私に、

「オトキータ、せっかく来たんだから、ね。これ置いていけば?」

私が手にしていたクリスマスツリーの紙袋に、同僚カリーナが優しく手をかける。当然ながら、クリスマス会は明日までおあずけだ。

「ポブレシータ。ケ・デスカンセス。」(可哀想に、ゆっくり休んでね。)

彼女たちの声を背に、うなだれてホテルを後にしたオトキータでありました。とほほぅ。

翌朝。出勤早々からかわれ、赤面。フロント仲間だけでなく、ベルボーイや予約係にいたるまで、昨夜の一件を知っていた。やれやれ…。メキシコ人って、ホント、“チスモソ”(噂好き)なんだから。

それから数日後。

“2重に押されたタイムカードの謎”について、人事部から問い合わせが来たことを付け加えておこう。

穴があったら入りたい、とはまさにこのこと。

  


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