■■Panchitoのラテン音楽ワールド■■

Archivo #002
テキーラ45000リットルの伝説〜チャベーラ・バルガスの復活

WEA(Germany) 0630-18555-2 "Chavela Vargas"

1. Sombras
2. He perdido contigo
3. Encadenados
4. Soy tuya
5. Nosotros
6. Angelitos negros
7. Mi segundo amor
8. En mi terreno
9. No te importe saber
10. Bien paga
invitados: Ana Belen(1), Armando Manzanero(3), Joaquin Sabina(5), Lucrecia(9)

 近年大ベテランの女性歌手チャベーラ・バルガスが復活を遂げ、ヨーロッパや南米でのツアーを成功させている。まさに伝説の人である。1960年代のメキシコの小さなバーや酒場で客と共にテキーラをあおり、男勝りのしわがれ声で冗談も交えながら、悲恋を力強く歌い、そのランチェラやボレロはメキシコの夜を象徴する存在だった。しかしいつしか時は移り変り、チャベーラはすっかり「昔の人」になる。その彼女が1993年スペインで突如「再発見」され、以後世界でのツアーを続けているのである。

 かつては謎だらけで、年齢や出身地すら明らかではなかったのだが、最近のインタビューで1919年コスタリカ生まれの82歳と判明。生れ故郷はすぐに離れてしまったらしく、メキシコ自治大学が近年制作したドキュメンタリーでも、生地を訪れた彼女はただ、はるか遠くを見つめるような表情をしていたのが印象的だった。その後17歳でメキシコに来るのだが、それまでの足取りは不明。ただ一つわかっているのは、1935年にニューヨークのRCAビクターで録音中だったタンゴの神様=カルロス・ガルデルに会っていることである(ガルデルはそのすぐ後アルゼンチンへの帰途、飛行機事故で世を去った)。 

 メキシコ到着以後の足取りも断片的にしかわからないが、一時期コヨアカンのディエゴ・リベーラとフリーダ・カロ夫妻の家(現在博物館になっている)で彼らと同居していたという。そこには当時メキシコに亡命していたトロツキーもいて、彼のジョークはなかなか面白かったという(ロシアン・ジョーク?)。一般の人たちに彼女の歌が広く知られるようになるのは1950年代の終わり頃からのこと。「マコリーナ」「ラ・ジョローナ」「バモノス」「ボルベール、ボルベール」「黒い天使」といった名曲を他の誰とも異なる解釈で歌い、録音した。

ステージでは常に冗談を飛ばし、客をからかい、歌い、酒を飲んだ。本人の計算では1999年までに45000 リットルのテキーラを飲んだという(どう計算しても1日平均1.5リットルは飲んでいたことになる)。そのため1980年頃、お酒の飲み過ぎでついにダウン、以後12年間の療養生活を送るはめになる(この期間にテキーラを飲んでいないとすると、それまでの1日当りの摂取量はさらに大きくなる)。メキシコの酒場で女1人歌い続けるには酒に強いことも必要だったのだろうが、払った代償は高かった。しかし神はチャベーラを見捨てなかった。回復後ほどなく、スペインのプロデューサーから声がかかったのである。ディエゴ・リベーラ、フリーダ・カロ、フアン・ルルフォ、アグスティン・ララといった著名人に「ミューズ」と呼ばれた名歌手は、老いてもなおスペインで映画監督のペドロ・アルモドバルに絶賛され(彼の映画 "Kika" にチャベーラの2曲が使用された)、上記CDでデュエットしたホアキン・サビーナに感銘を与えた。

 CDは上記に挙げたもの以外にも新旧録音がいろいろ出ているが、残念ながら日本盤はない。ワーナー(WEA) 系のものは復活後の録音で上記以外はライヴ録音が多い。SONY=ORFEON 系で多数出ている編集盤は1960年代の名唱集で、その多くに「泣くギター」と呼ばれた名手アントニオ・ブリビエスカが味わい深く華を添える。数々の謎と伝説に彩られたチャベーラは2001年11月ベラクルスの国際音楽祭で栄誉ある「アグスティン・ララ賞」を受賞した。スペインで復活してから8年後のメキシコでの受賞とはちと遅いが、それでも飲みほした45000 リットルのテキーラは無駄ではなかった。上記CDジャケットの手を広げるポーズは彼女のお得意のもの。アルモドバル監督は「彼女以外にこれほどうまく手を広げられるのはキリストだけ」と礼賛した。