Archivo #002
メキシコ到着以後の足取りも断片的にしかわからないが、一時期コヨアカンのディエゴ・リベーラとフリーダ・カロ夫妻の家(現在博物館になっている)で彼らと同居していたという。そこには当時メキシコに亡命していたトロツキーもいて、彼のジョークはなかなか面白かったという(ロシアン・ジョーク?)。一般の人たちに彼女の歌が広く知られるようになるのは1950年代の終わり頃からのこと。「マコリーナ」「ラ・ジョローナ」「バモノス」「ボルベール、ボルベール」「黒い天使」といった名曲を他の誰とも異なる解釈で歌い、録音した。 ステージでは常に冗談を飛ばし、客をからかい、歌い、酒を飲んだ。本人の計算では1999年までに45000 リットルのテキーラを飲んだという(どう計算しても1日平均1.5リットルは飲んでいたことになる)。そのため1980年頃、お酒の飲み過ぎでついにダウン、以後12年間の療養生活を送るはめになる(この期間にテキーラを飲んでいないとすると、それまでの1日当りの摂取量はさらに大きくなる)。メキシコの酒場で女1人歌い続けるには酒に強いことも必要だったのだろうが、払った代償は高かった。しかし神はチャベーラを見捨てなかった。回復後ほどなく、スペインのプロデューサーから声がかかったのである。ディエゴ・リベーラ、フリーダ・カロ、フアン・ルルフォ、アグスティン・ララといった著名人に「ミューズ」と呼ばれた名歌手は、老いてもなおスペインで映画監督のペドロ・アルモドバルに絶賛され(彼の映画 "Kika" にチャベーラの2曲が使用された)、上記CDでデュエットしたホアキン・サビーナに感銘を与えた。 CDは上記に挙げたもの以外にも新旧録音がいろいろ出ているが、残念ながら日本盤はない。ワーナー(WEA) 系のものは復活後の録音で上記以外はライヴ録音が多い。SONY=ORFEON 系で多数出ている編集盤は1960年代の名唱集で、その多くに「泣くギター」と呼ばれた名手アントニオ・ブリビエスカが味わい深く華を添える。数々の謎と伝説に彩られたチャベーラは2001年11月ベラクルスの国際音楽祭で栄誉ある「アグスティン・ララ賞」を受賞した。スペインで復活してから8年後のメキシコでの受賞とはちと遅いが、それでも飲みほした45000 リットルのテキーラは無駄ではなかった。上記CDジャケットの手を広げるポーズは彼女のお得意のもの。アルモドバル監督は「彼女以外にこれほどうまく手を広げられるのはキリストだけ」と礼賛した。 |
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