■■Panchitoのラテン音楽ワールド■■

Archivo #009
ウルグアイからやって来た放浪のパジャドール

Peregrino Torres "El cantar de un payador"
(歌詞集、Editorial Buchieri, Buenos Aires, 1946)

1962年12月来日した時のペレグリーノ・トーレス

 Chiakiさんのウルグアイ到着を記念して、ウルグアイ音楽の話を一つ。

 ウルグアイと隣国アルゼンチンの文化は共通点が非常に多く、しかしその一方で国の規模は圧倒的にアルゼンチンの方が大きかったりするので、ウルグアイ人はアルゼンチンに対してコンプレックスというか、必要以上に強い対抗心を持っていたりする。それは音楽にもしばしば表れていて、全体としてはウルグアイとアルゼンチンの音楽はよく似ているにもかかわらず、ウルグアイにしかない要素は妙に強調されている。

 そんな両国共通の音楽的伝統に「パジャドール」がある。かつては毎年ブエノスアイレスで「世界パジャドール大会」も開催されていたと記憶するが、パジャドールとはギターをつまびきつつ、スペイン伝来の詩型を守って決められた韻を踏みつつ即興で組み立てた歌を歌い(その歌はパジャーダと呼ばれる)、2人でその技を競う人たちのことである。ルーツにあるのは大草原の牧童、ガウチョの伝統。1910年代の初期のレコード歌手にはパジャドールから普通の歌手(つまりあらかじめ作った歌を歌う人)になった人も多かった。

 有名なパジャドールには、現在アルゼンチンの国際空港の名称にもなっているガビーノ・エセイサ、「最後のパジャドール」と呼ばれたホセ・ベティノッティらがおり、アルゼンチン、ウルグアイ両国から多くの名手たちが登場し歴史を飾ってきた。そこでもアルゼンチンの方が国が大きいので、有名人は多いのだが、それでもウルグアイ人たちは全体としてはいつの時代でもウルグアイの方がアルゼンチンよりも優れたパジャドールを輩出してきたんだと胸を張る。

 そんなウルグアイのパジャドールがひょっこり日本を訪れたことがあった。今から39年も前の話、その名をペレグリーノ・トーレス(Peregrino Torres) という。生まれは1900年頃、1930年代にはラジオを通じて両国で知られる存在となり、ウルグアイの最も偉大なパジャドール、フアン・ペドロ・ロペスとも長く活動を共にしたという。日本に来た時、彼をどんな人か知っている人はほとんどいなかったと思うが、ウルグアイでも10指に入ろうかという名手だったのである。彼は Peregrino(巡礼者)という名にふさわしく、1951年から世界放浪の旅に出発、スペイン、イギリス、モロッコで歌い、1954年にいったん帰国するが、その後も長く世界放浪の旅にあり、1962年12月、その長旅の最後の地に彼は日本を選んだのだった。

 しかし事前に連絡があったわけでも何でもない。彼は突然日本のウルグアイ大使館を訪れ、そしてタンゴ・ファンの集うコンサート会場に予告無しに表れたのである。タンゴ誕生の要素の一つとしてパジャドールが関わっていること位は熱心なタンゴ・ファンには知られていたが、突然目の前に本物のパジャドールが現れてしまったのだ。その場に居合わせた人たちの驚きたるや相当なものだったにちがいない。年の瀬のわずか数日間の滞在だったようで、全国的な脚光を浴びるにはタイミングも悪く、時間も足らなかったようだが、関係者の計らいでタンゴの定期コンサートとラジオ番組に飛び入り参加、鎌倉を観光して船でウルグアイへ帰っていったという。その後の消息は知らないが、もはや故人だろう。

 すべては私が生まれる前に起こった出来ごとなのだが、ペレグリーノ・トーレスの名前は私にとっても思い出深い。10年ほど前のこと、ウルグアイの首都モンテビデオの馴染みの古レコード屋を訪れた時のこと、ふと目をやると売り物の山と別の箱に入った3枚の古びたSP盤が目についた。それはかつて雑誌でその名を見て記憶していたペレグリーノ・トーレスのレコードだったのだ。と気づいた途端、店主はすっとその箱をしまおうとする。「売り物ではないのか?」と聞くと、あまり売りたくはないが「これは珍しいので1枚10ドルならOK」と言う。年配の店主だったのだが、いつもたくさん買えば安くしてくれる人だった。この種の店で1枚10ドルは決して高い値段ではないが、彼としては思いきった値段のつもりだったのだ。「トーレスのレコードはこの3枚しかないんだよ」と言い聞かされつつ、私はそのレコードを全部買って日本まで持ち帰った。今調べると世界放浪の度に出る直前のレコーディングだったことがわかる。その後さらに1枚を入手したので「3枚しかない」のは嘘だったが、今もそれらの古いレコードを見ると本当に貴重なもの・いい音楽を知っていたあの店主のことを思い出す。次回訪れた時はすでに店主は亡くなり、息子が跡を継いでいた。店は同じままだが、どうも息子の方は商売っ気が強くて...。たくさん買うと店を閉めてホテルまでボロボロの軽トラックで送ってくれたあの親父さんが懐かしい。のんびりしてて親切、でも決してずる賢さはない、というのがウルグアイ人の典型であり、それがウルグアイ人の誇りでもある。

 上掲書とは別の、ウルグアイの名手たちのレパートリーを網羅した歌本から、ペレグリーノ・トーレスが30歳だった頃のレパートリーから愛国心あふれる「ウルグアイ」という曲を紹介しておこう。

「ウルグアイ」

 我がガウチョの地、自由で栄光あるウルグアイ
 気高く、優しく、寛大な人々の揺りかご
 詩文のテーマが真実になるところ
 幸福と愛の土地
 よりよい生活を求める旅人を引きつけ、彼らを照らし出す偉大で勇敢な土地

 歌いながら生き、笑いながら働く
 昔夢見たものがこうして現実になっていく
 おまえの威厳が形作られていく
 おまえの友情は誠実で、その感情は深い
 全世界における平和と自由の生きる見本だ
 おまえから離れているその時
 その地に置いてきてしまったものがわかる
 まさにその時、おまえの豊かさを我々は思い知るのだ
 そこにあるすべてを賞賛するに値する地
 生き、夢見るために我がウルグアイほどの場所は他にない