■■Panchitoのラテン音楽ワールド■■

Archivo #018
アルゼンチン〜ウルグアイの旅で出会ったいろんな人々

モンテビデオ、トリスタン・ナルバーハの市で売られている黒人音楽カンドンベ用の太鼓。実用品とお土産用の両方。

 約1ヶ月のブランクとなってしまったが、実は2年ぶりのアルゼンチン〜ウルグアイの旅に出かけていた次第。このサイトはラテンアメリカといっても基本的にメキシコ・モードが強いので南米の話は少々気が引けるのだが、旅の間にいろんな人に会ったので今回はそのお話(ちょっと番外編)。

*隣のユダヤ人

 私はブエノス行きの際にはいつもVARIGブラジル航空を愛用している。だから隣がブラジル人、ということはこれまでもよくあったのだが、今回ほど変わった人は初めてだった。ロサンゼルスから乗り込んできたそのブラジル人はユダヤ系の老人でアメリカの事業を引き払って帰る所らしい。入国用の書類について質問をされたのだが(そもそもどこからどう見ても純粋な日本人の私にそんなことを質問すること自体おかしいのだが)、それがきっかけでスペイン語を理解する人間だとわかるや、ポルトガルなまりのスペイン語でとうとうとユダヤ教の話が始まった。いつも持ち歩いていると思われる古びた紙のファイルから「13」という数字の書かれたデザインを指し示していろんな数のめぐり合わせの話をしているのだが、すでに10時間以上不眠に悩まされてきた私としてはどうにも理解のしようがない。元々自動車のエンジニアで1930年代に友人のドライバーと共に世界中を横断、その時スフィンクスの前で撮った写真なども見せてくれたが、数字との因縁の話が全くわからない。30分ぐらいしゃべり続けた挙げ句、「疲れててよくわからないんだけど」と正直に告げると、「あ、そう。で、どこへ行くの?」という質問。普通そこからコミュニケーションがスタートするんじゃないの? 結局その後2人の間に会話はなかった。

*牧場のインド人

 旅の後半、何人かの観光客グループと共にブエノスアイレス郊外の観光牧場、サンタ・スサーナ牧場を訪ねた。本物の牧場だったら中心部からバスで3、4時間はかかると思うが観光牧場なら1時間足らず。昔の牧場生活を展示してある家があったり、馬に乗ったり、馬車に乗ったりして、それから中にあるレストランで好きなだけ肉を食べ、そこでフォルクローレ&タンゴのショウを観るというシステムで、それこそ世界中から観光客がやって来る。今回もメキシコ、スペイン、韓国、フランス...と実に多国籍な状態だったが、我々の後ろにいたイギリス人団体の中に何とインドの人がいる。そのこと自体は別に珍しくはないとのだが、何と言ってもここは牛肉の食べ放題がメインの観光牧場である。ガウチョ(牧童)姿のボーイを呼んだ彼女は「私ベジタリアンなんだけど...」と言いにくそうに言った。びっくりしたガウチョはひたすら野菜サラダを彼女の元へ運んでいた。う〜ん..それにしてもいったい何のために牧場に来たんだろうか...。

*牧場のコロンビア人

 ここのところ南米南部諸国は経済面で元気がないので、いくらアルゼンチン・ペソが切り下がったと言っても、同じように経済低迷に苦しむブラジル、ウルグアイ、パラグアイからの観光客はほとんどいない。だから最近はコロンビア、ベネズエラ、ボリビアからアルゼンチンへの観光客が目立つと言う。たまたま上記の牧場で一緒になったコロンビア人とタンゴの話になった。実はコロンビア人はものすごくタンゴが好きで、それも歌の曲ばかり聞くのである。彼が「そういえばこんな曲覚えているよ」と言って歌ったのは...

Recuerdos de Sukiyaki, extrano a Sukiyaki / No se por que yo me fui de mi Nagasaki / Buscando amor regresare / Y nunca mas me alejare...

 何とも妙な歌詞だが、実はこれ日本の「上を向いて歩こう」のスペイン語版なのである(スペイン語詞の作者は不明)。1964年、日本のタンゴ・バンド、早川真平指揮オルケスタ・ティピカ東京と専属歌手3名(藤沢嵐子・阿保郁夫・柚木秀子)が南米を巡演し、大成功を収めた。その際アルゼンチンで2枚のLPを録音したのだが、その中に阿保郁夫の歌う "Sukiyaki" (もちろんタンゴ・アレンジ)があり、近隣諸国でもちょっとしたヒット曲になった。何と彼はそれを覚えていたのだ。藤沢嵐子、阿保郁夫の名前を南米で聞くことは今も多いが、歌詞までちゃんと覚えている人は珍しい。

*タンゴ・ショウのドイツ人

 ブエノスアイレス名物といえばタンゴ。サン・テルモ地区を中心に観光客向けのタンゴ・スポットは数多い。この種のタンゴの店をタンゲリーアと言う。普段町中で日本人に全く会わなくても、タンゲリーアに行くとなぜか必ず日本人の団体がいる。不思議なものだ。そのタンゲリーアの元祖といえるのが「エル・ビエホ・アルマセン」で、紆余曲折はあったものの今も健在。今回ここで見ておかしかったのがドイツ人の老夫婦。一番前のいい席に陣取っているのだが、約90分のショウの間、ご主人は初めから終わりまで見事に熟睡。拍手にも反応なし。でも一方奥さんはのりのりでダンサーや歌手の写真を撮りまくって、はしゃぎ過ぎ。隣で熟睡中のご主人には一瞥もくれなかった。「ご主人起きないですけど大丈夫ですか?」と言いたくなるほどだったが、でも終演後2人は仲むつまじく帰っていった。確かに最近はどこの店も夕食込みのショウになってしまったから、食べると眠くはなるんだけどね...時差もあるし。

*モンテビデオの骨董市

 アルゼンチンを訪れる際には必ず隣国ウルグアイも行くことにしている。アルゼンチンと似て非なるこの国についてはCHIAKIさんのレポートでも紹介済だが、そのCHIAKIさんと一緒に日曜市の探索をしてきた。モンテビデオ中心部のトリスタン・ナルバーハという通りに毎日曜催されるもので、一応骨董が中心なのだが、野菜・肉・チーズなど生鮮食品、下着・水道管・ろうそく・金魚・壊れたコンピューターまで何でもある。私の目当てはもちろんLPレコード。タンゴを中心に捜すのだが、仕分けされていないことが多いので、全部見てみるとこの国の人たちがどんな音楽を聴いてきたかがよくわかる。ビートルズ、フランク・シナトラ、トリオ・ロス・パンチョス、ルーチョ・ガティーカ、ミゲル・アセベス・メヒアあたりは中南米諸国ならどこでも聞かれていた人気者、意外なところでディック・ファーニィ(ブラジルの甘い歌声の歌手)、ユダヤ人の祝祭の音楽、漫談、チェ・ゲバラの演説なんてのもある。

 ひとしきり見た後はモンテビデオ市内に数件あるチェーンのカフェ・レストラン "Pasiva" でウルグアイ名物「チビート」Chivitoをいただく。簡単に言えばうすいビーフステーキのサンドイッチなのだが、マヨネーズ系の独特のソースをかけるのが特長で、なかなか美味。なぜこれがウルグアイだけでアルゼンチンにないスタイルなのかはよくわからない。しかもChivito (小さいヤギの意)なのに牛肉。昔はヤギの肉でやっていたのだろうと何人かのウルグアイ人に確認したが、そのことは誰も知らなかった。(ちなみにアルゼンチンでChivitoといえばヤギ肉である)