■■Panchitoのラテン音楽ワールド■■

Archivo #023
キューバの物売りの歌「プレゴン」の話

ワーナー WPCR-70001 「やきいもの歌/ロス・コンパドレス」

TUMBAO (スペイン) TCD-801 "25 versiones clasicas de El Manicero"

 思えば私が子供の頃は今より頻繁に「竿竹屋」「焼き芋屋」が近所を通ることがあった。かつては「金魚屋」「バナナの叩き売り」「がまの油」などかなり多くの物売り歌(いわゆる口上も含めて)が日本にもあった。

 しかしラテンアメリカの方がこの種の物売り歌は多い。都市部への移住が多く、自らの創意工夫で暮らさなくてはならない人が多いラテンアメリカの都市では、物売りが必然的に多いのだ。物売り歌の根底にはよりインパクトを持って遠くまで聞こえるように知らせること、という極めて実用的な意味があるわけだが、そこには自然とその国の文化・音楽が反映されていく。さらにそれがラジオやテレビに使われ、コマーシャル・ソングになったり、レコードが作られてヒット曲になったりもするわけだ。それがキューバだったら当然ソン、ルンバ、マンボ、グアラーチャ、チャチャチャなどになる。

 スペイン語圏で物売り歌を「プレゴン」Pregonと呼ぶ。中には植民地時代から続く伝統もあり、今でも「歌」とまではいかなくとも、くじ売り、新聞売り、豆売り、アイスクリーム売りの声は独自の節とトーンを伴ってあらゆる街角で聞くことが出来る。しかしそれではきりがないので、ここでは楽曲として知られたものに焦点を当てよう。

 楽曲になった物売り歌で何と言っても有名なのはキューバのプレゴン、モイセス・シモンス作の「南京豆売り」(El manicero / The peanut vendor)である。

Mani....mani.... si te quieres por el pico divertir, comete un cucurruchito de mani....
Que calentico y rico esta! Ya no se puede pedir mas...
(南京豆..南京豆...もしもお口を楽しませたいなら、南京豆一袋召し上がれ/
なんて熱くておいしいことか! これほどの南京豆はもうないよ!)

 この通り、歌詞のほとんどは実際の物売り歌そのままといえる内容で、欧米人がハバナにエキゾチックな風景を想像させるには充分だったのだろう、1930年キューバのドン・アスピアス&ヒズ・ハバナ・カシーノ・オーケストラが演奏したこの曲のレコードは大ヒット、世界的なルンバ・ブームのきっかけとなった。この曲はラテン・スタンダードとして広範囲に取り上げられており、1997年には「南京豆売り」の演奏ばかり25種類を収録した TUMBAO (スペイン) TCD-801 "25 versiones clasicas de El Manicero" というCDも発売された。世界的大ヒット以前の貴重な録音や、ジャズのルイ・アームストロングやスタン・ケントン、ペレス・プラードのマンボ編曲、定評あるボラ・デ・ニエベのピアノ弾き語りなどそれぞれに特徴の出たバージョンが詰まっていて、この曲がいかに親しまれてきたかを物語る。

 この他ラテンアメリカ各国にプレゴンをテーマにした曲は多数あるが、一番豊富なのはやはりキューバのようである。ビン買い El botellero、キャラメル売りEl caramelero、靴磨き El limpiabotas、カネイの果物 Frutas del Caney、パンケ売りEl panquelero、 炭焼きの歌 Oye el carbonero、トマト売り El tomateroなどちょっと思いつくだけでも有名な曲がたくさんある。

 そういえば筆者がかつてキューバに旅行した際、入手したSP盤の中に "Tome Cinzano"(チンザノを飲みましょう)という良くできたCMソングがあった(レコード盤のレーベルまでチンザノのデザインだった)。キューバでは物売りと音楽がいかに日常に密着していたかの証拠でもあるだろう。そうした物売りは革命後ほとんど消えてしまったようだが、歌の中でプレゴンの伝統は親しまれている。

 この辺で「あの曲は?」と思っている方もあるかもしれない。昨年フジテレビの子供番組で話題になった「やきいもの歌」(Boniato asado)である。実はこの曲、キューバの 名門ドゥオ、ロス・コンパドレスが日本滞在中の印象をもとに1976年に録音したもの。たどたどしい日本語歌詞に目をつけた人がいたのだろう、昨年11月にワーナー WPCR-70001 「やきいもの歌/ロス・コンパドレス」として3トラック入り(放送用バージョン、オリジナル、後で作ったカラオケ)のCDが発売された。実は番組の方は見たことがないのだが、CDにはやきいものダンスの振付がイラストで解説されている。

 このロス・コンパドレスは、後に「ブエナ・ビスタ」のおじいちゃんとして再発見されることになるコンパイ・セグンドと、ロレンソ・イエレスエロ(コンパイ・プリモ)により1949年に結成された、ドゥオ・チーム。ひなびた渋みでソンを歌うあまりにシンプルなグループだが、まさにソンの本場、サンティアゴ・デ・クーバならではの味。やがて内外で大きな人気を博すようになる。その後コンパイ・セグンドがロレンソの弟、レイナルド・イエレスエロと交代、日本にも70年の万博、74−75年の赤坂のキューバ・レストラン出演のために来日した。「やきいもの歌」は半年間に渡った74−75年の滞在中に生まれた名曲なのである。キューバと日本の伝統が交錯したこの不思議な歌が、28年後に再び話題になるとは、今もビエハ・トローバ・サンティアゲーラなどで本場の伝統を伝える数少ない名手として活躍を続けるレイナルド・イエレスエロも予想しなかっただろう。

(次回の更新は筆者の都合により3月下旬となります。ご了承下さい。)