一期一会 バス編 

(1)ミュージシャン

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3回目のメキシコ滞在でお世話になった家の部屋から撮った朝焼け。 静まり返る街は鶏の声と犬の遠吠えで目覚めていました。
さて、メキシコと日本には異なる点がいくつかありますが、生活している中でそれを実感する機会が多いもののひとつに“乗り物”があります。セントロをはじめ、いろんな場所へ行くのに、メトロのないクエルナバカではバスが一番安くて便利。滞在中は、バスが走っていればバスに乗っていました。白色の箱型バスの中は運転手色に彩られ、その装飾は実にさまざま。ど派手に飾られたものから驚くほどシンプルなものまで、運転手の好みがよく現れています。特に印象に残っているのは、車内が真っ赤のバス!しかも、赤色のカーテンまでつけられていました。それが自然となじんでしまうところがメキシコなのでしょうか?そして、カトリック信者が多いこともあって、必ずといっていいほど十字架やグアダルーペが飾られていました。そして重要なのが音楽。これも運転手によりますが、それぞれCDなどを持ちこんで流しているようでした。

バスの中はあまり広くはないのですが、そこへ大きな荷物を持ったおばさんや、学校帰りの子供たちなどなど、とにかく人がどんどん乗り込んでは降りていきます。そんなごったがえったバスの中に、やめればいいのにギターを持ったミュージシャンが乗り込むことがしばしばあります。滞在中、ラジオを愛聴していた私はメキシコ音楽事情になかなか精通していたので、彼らの歌う歌はだいたい分かったように思います。年齢やジャンルはいろいろですが、みんなそれなりに上手で味わいがあります。

ある日、若いミュージシャンが私の好きな歌を歌っていました。一通り歌い終えた彼に乗客はコインを渡しているのですが、ついつい聴き惚れてしまった私はコインのことなどすっかり忘れていました。慌ててコインを探すものの、なぜかこういう時に限ってポケットの中のコインがうまく取り出せないのです。ごそごそしているうちに彼はバスから降りてしまいました。

また別の日、わりと年配のミュージシャンがバスに乗り込み、マリアッチ調の歌を気持ちよさそうに歌っていました。またまた聴き惚れているうちに歌が終わり、ポケットに手を入れると、今後はなんとコイン自体がポケットに入っていない!お財布はカバンの一番下に埋もれていました。それでも何とかしようといていると、私のところまでまわってきたセニョールは言うのです。「お嬢さん、いいんですよ」と。にっこり笑った年配ミュージシャンは赤い包み紙のキャンディを私の手に渡すと違う乗客のほうへと歩いていきました。コインを渡すはずが、飴玉をもらうことになるなんて・・・。悶々とした気持ちで家に帰り、ラジオを聴きながらもらった飴玉を取り出し、包み紙をあけてみると、なんとも言えない色の飴が出てきました。・・・まずそう・・・そう思ったものの、空腹に耐えられず口にしてみると、柔らかい甘さが口いっぱいに広がり、一気に幸せな気持ちになりました。そして、一瞬でも彼の好意を疑ってしまった自分がとても恥ずかしくなりました。

おじさん、ごめんね。

未だにバスに乗込んで物を売ったり、芸をする人がくると戸惑ってしまう私ですが、立ち振る舞いはだいぶましになったと信じています。


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