第一話 「まさか...いきなりつまずいた!?」−−成田空港


インデペンデンシア通りの市場前に突然あらわれる花屋さん。
こんな風景はまだまだ遠い。

 慣れっこだとは言え、ロサンジェルス行きのフライトが遅れることを聞かされたときは正直目の前が真っ暗になった。成田空港のデルタ航空チェックインカウンターでのことである。

――15:00発のDL78便は、機材の到着が遅れたため、15:50出発となります――

 カウンター正面に白い紙がこれ見よがしに張られている。何だ50分遅れるだけじゃないか、ま、休みだし初日だし、気長に行くか。と普段なら考えるところだが、どうしても遅れられると困る理由がこっちにはあった。ロスでの乗り継ぎ時間がもともと1時間しかなかったのである。それが50分遅れてしまってはとうてい乗り継ぎできない。

 ロスからメキシコシティーへのフライトには間に合わないので他の便を用意します、などと告げられても、その次のデルタのフライトでのんびり行ってしまっては、その日のうちにメキシコシティーからオアハカに乗り継ぐことはできない。今回は合計3便を乗り継いでやっとオアハカに着くのに、2便目のロス―メキシコシティーで夜中になってしまっては、シティーで一泊などということになり、無駄な時間を費やしてしまう。最終目的地はメキシコシティーではなく、誰がなんと言おうとオアハカのぼくの家族、グスマン家のふかふかベッド。それも今夜ぐっすりとそこで深く眠ること。

 もともと今回はスケジュールが厳しかったので、何ヶ月も前からいろんなフライトの組み合わせを考え抜き、その日のうちにオアハカまでたどり着ける予定を組んでいた。そのうちの1つでもずれれば全ての予定が変わってしまう。そしてその遅れは、きっと休みが7日しかないぼくに致命傷となって後々ひびいてくるにちがいない。

 成田からオアハカまで、ロス、メキシコシティーでの乗り継ぎを合わせてほとんど丸1日を移動に費やす。成田からアメリカへ渡るフライトはだいたいが午後3時以降出発と相場は決まっている。メキシコと日本の時差が14時間。つまり出発する午後3時の時点でメキシコはその日の午前1時。3便をうまく組み合わせ、もうこれ以上は無理というほどきつい乗り継ぎ時間を走り回り、何とかその日の夜7時にオアハカで待つ家族の元に。こんな予定も目の前でもろくも崩れ去ろうとしていた。

 ぼくは仕事でよく海外にでかける。行き先はだいたいがインドや香港を中心にしたアジア地区だ。乗り継ぎがうまく行かずに途中空港のホテルで一泊なんてことはよくあることだ。けれど今回の場合は遅れたから仕方ないなどと簡単にあきらめきれない。時間はものすごく限られており、休みが終われば翌朝には何事もなかったかのように会社に出なくてはならない。だから今回の駄々のこね方は当然これまでにないしつこさだ。

 ちょっとお待ちください――とお姉さんはぼくらを置いて引っ込んでしまった。何かいやな予感がする。長い間待たされて、今度はさらにポジションが上とおぼしきブレザーを着た女性(年齢は30前後だろうか、同い年くらいだと思う)が出てきた。しかしその後状況はさらに混沌としていく。

 彼女が探してきた代わりのフライトは、ロサンジェルスからオアハカまでの直行便で、なんと今日の朝8時に現地に到着するという。そんなばかな。あれだけ旅行代理店と相談して決めた旅程より、もっと早く着くことなんてありえない。だいたい夕方に日本を出て、オアハカにその日の朝8時に着くなんて、いくら日付変更線を超えて時間を逆戻りするとは言ってもありえない。でも森川さん(そう、名札に森川さんって書いてあった)は画面上でそう出てくるから、間違いないはずだと言い続けた。そんな夢みたいな話信じたいけど、やっぱりどこかくさい。

 「何かの間違いだからよく調べてください」。「時差を考えてもどうしてもありえないですよ」。ぼくとぼくの奥さんは交互に森川さんに詰め寄った。(アチャは出発もしていないのに疲れきって待合場所のソファーで「地球の歩き方」を力なく開いている。兵庫県に住む彼女は朝7時に起き、伊丹空港から成田までのフライトを済ませてきており、すでにお疲れモードなのだ。)

 朝からフライトが遅れて頭が混乱していたのだろう、実は森川さんの調べてきたスケジュールは、翌日朝8時到着、つまり「ロスで半日待ちぼうけ」+「メキシコ・ロス間のオーバーナイトフライト」という地獄の乗り継ぎだったことがぼくらのきびしい追及の末判明した。間違いを謝るまじめな森川さんがだんだんかわいそうにもなってきたが、そんなこと、この際構っていられない。とにかく他の航空会社でも何でもフライトを組みなおしてもらわなければ。

 「森川さんだけが頼りですよ、私夏休み7日しかないんスよ」。

 ぼくはカウンターから身を乗り出し、手を合わせた。――こうなれば情に訴える作戦だ。お互い会社員、少ない休みや給料でもがんばろうねという仲間意識が新たな力を生み出さないか?

「え? あまり頼りにしないでくださいね、でも絶対探して見せますから」。

 今朝出社したらいきなりフライトの遅れのせいで社内はあわただしかったのだという。やさしい笑顔の間にのぞく責任感の強そうな表情は、いかにも頼れそうなやり手女性社員という感じだ。ますますコンピュータのスクリーンを見る森川さんの眼に力がみなぎってきたノような気がした。

 そして彼女が長い検索を終えて見つけ出した解決策は、ユナイテッド航空でロスを午前11時に出発するメキシコシティー行きのフライトだった。これならロスでは1時間しかない少々きついトランジットだが、何とかシティ―へ向かう便に飛び乗りオアハカまでうまく乗り継げるはずだ。細かい説明をするより前に、すでに森川さんはユナイテッドにダイヤルし、席を確保しようとしていた。当日のフライトだけに、飛び入りでの座席確保は一刻を争う緊迫した作業だ。

 「ビジネスが2席、エコノミーが1席の別々の席になりますがよろしいですか?」

 よろしいも何もそれで行くしかないじゃない。その上二人分はデルタ航空持ちでビジネスシートに乗せてくれるというのだから。

 そして無事3人分席が確保され、何とか最終目的地、グスマン家のふかふかベッドがおぼろげながら見えてきた。乗り継ぎは全部ぎりぎりだけど何とかなるだろう、なるに違いない、なるんじゃないかな? ぼくらは現時点での最善を尽くしたし、後は時間どおりに飛行機がロスに着くことを祈ってシートで寝るだけだ。2時間に渡って、あーでもないこーでもないと、いろんなオプションを考えてくれた森川さん(すでに相当疲れていた)にお礼を言い、ぼくらは出発ゲートへと足早に進んだ。

  


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