第四話 「プエルト・エスコンディードはメキシコ風定食屋だった」――ロサンジェルス


市場の中にあるジュース屋さん。おばさんがオレンジジュースを絞ってくれる。コレで体の中がきれいになる気がする。

 ホセはプエブラ出身だった。プエブラと言えばぼくが住んでいた、そして今目指しているけどなかなか到達しないオアハカの隣の州だ。それを思い出すだけでぐっとオアハカに近づいた気になるから、人の気持ちなんて単純だ。で、やっぱりそれだけで目の前のベルボーイが親しく感じられる。

 そしてぼくらはしばらくデスク越しにおしゃべりした。

 「兄弟がこっちに来ていて、それでぼくもロスで仕事を見つけたんです。プエブラの○○大学を出たんだけど、これがいい大学なんです。メキシコ中でもトップクラスです。あそうそう、どうしてスペイン語話すんです?またなんでオアハカに?今回はどれくらい行くんですか?ふーん、まあ短いけどみんなに会いにってとこかですか...。飛行機が遅れたのは残念でしたね...」

とかなんとか。

 「観光したいけど時間が限られているなら、シティーツアーでいろんなところ見に行けばいいですよ。全部で4時間半の観光だけど参加する価値はあると思います」

 そう言われてすぐ市内観光ツアーに参加することを決めた。4時間半という長さも程よく、ホテルまで送迎付だったのだ。

 「2時45分にバスが迎えに来るので、その頃にロビーにいて下さい」

 それまでに軽く昼ご飯を取りたいけどオススメの場所はないか、聞いてみた。1時間で昼食を取ってホテルに戻らなければならない。そんな時はどこに行くかは土地の人に聞くのが一番だ。

 「ここ行けばいいですよ。だいたい一人20ドルくらいでしっかりしたシーフードが食べられるし」

 ホセはSEAFOODだけを英語で言いながら、何だか有名そうなレストランの名前を紙に書いた。でも少し遠い様だしちょっと高い。近場でもっと安いところないのだろうか。

 「じゃあ、メキシコ風レストランで良ければ、近くにありますよ。ここから何ブロックか行ったところ。車で5分くらいかな。でも中はメキシコ人ばっかりです。大衆食堂って感じで良ければ」

 ロサンジェルスで、地元の人が行く大衆食堂だ。そんな説明を聞いて、間髪いれずオーケーした。こういう話には俄然興味が湧く。

 「じゃあ、仲間に車で送るよう言ってきます。少しチップ払えばいいですから」

 ああでもないこうでもないとワイワイやりながら、観光の方より昼ごはんの場所を決めるのにぼくらは時間をかけた。やっぱり旅の食事で妥協はできない。

 そして空港とホテルを行き来する送迎バスにたった3人内緒で乗せてもらい、メキシコ風レストランに向かった。でも「メキシコ風」ってどういうことだろう?

 奇遇にもぼくらを送ってくれた若い従業員はオアハカ出身だった。ロサンジェルスってすでにメキシコみたいだ。そこらじゅうになじみのある場所出身の人がいる。

 目的の場所には、いかにもファーストフードっぽいピザハウスが隣にあり、駐車場を共有していた。メキシコ風食堂の方にはほとんど行ったことがないというその従業員は、おすすめのメニューを聞いても何も答えなかった。むしろ隣のピザハウスで食べることが多いという。多分ホテル勤めでは、短時間で食べられるほうがいいのだろう。もしくはアメリカだからアメリカに同化してしまったのかも知れない。「いやあ、あそこのタコスは最高でねえ」というような答えを期待していたので、ちょっとだけ拍子抜けした。

 レストランの名前は何とPUERTO ESCONDIDO(プエルト・エスコンディード)! 偶然にもオアハカ州きってのビーチと同じ名前だ。店構えも懐かしく、白い石造りに原色使いの魚のペインティングが、メキシコの海辺にいかにもありそうなシーフードレストランだ。

 そこに入るなり、ぼくはそのあまりにローカルな、観光客を寄せ付けない圧倒的ラテンムードに胸がわくわくした。ホセが最初から勧めてこなかったわけがよく分かる。客の大半がラテン系(というかメキシコ系)で、店内のぎょうぎょうしいスピーカーからスペイン語のあまーく切ないラブソングが大音量でかかっている。

 今日本で流れるラテン音楽が、洗練されたリズムのサルサやキューバのソンなんかが中心だとしたら、そこでかかっているのはそれとは正反対のベトベトねっとりメキシコ歌謡。歌詞が分からなければまったくどれも同じに聞こえてしまうタイプのメローなバラードだ。リッキー・マーティンなんかのポップスも、日本ではアップテンポなものしかかからない。J-WAVEを聞いていてもこんなバラードはまず耳に入ってこないだろう。

 でもそんな聞いていると恥ずかしくなるような濃厚な愛の歌が、僕にはこのとき妙に心地よく響いた。メキシコ在住当時に染み付いていたはずの、この「こってり加減」を、日本に戻ってからの6年間で忘れそうになっていたんじゃないか? どこかでこの「しつこさ」を求めていたところがあるのだと、あらためて確認し、店内の空気に身をまかせた。

 テレビでは大リーグの中継が流れている。日本で言えば定食屋にあたるだろうか。日本ならやっぱり巨人戦になるんだろうけど。

 そして前払い制のキャッシャーで、今日のおすすめランチメニューカードに目を通し、ぼくが豚肉、キオが鶏肉、アチャがトスターダスを頼んだ。安いのでおまけに「コクテル」と呼ばれるアボガド、トマト入りレモン汁がけシーフードサラダまで頼んでしまった。もちろんすべてスペイン語で。

 そしておかわり自由のドリンクバー。セルフサービスでソフトドリンクをコップに注ぐが、ドリンクサーバーの中に、コーラやスプライトと混じってメキシコでよく飲まれる「オルチャータ」(米をつけた汁で作った甘味ドリンク)が当たり前のように入っていたのがまたぼくらをしびれさせる。

 紺のベースボールキャップの女の子が運んできた、ぼくらの待ちに待った昼食は、来るなり3人をうならせた。サイズが「ど」が付くほどでかいのだ。やっぱりここはアメリカだ。そう言えば以前ロスに来たとき和食レストランで食事したことがあるが、焼肉定食が同じようにでかくて食べきれなかったのを思い出してしまった。いくら和風とは言え、客はアメリカ人が多く、やっぱりボリュームもアメリカンサイズだったのだ。

 アチャが頼んだトスターダスの皿が最初に来た時点で、もう、それだけで3人分ですと言われても「あーそうですか」と納得してしまいそうな量だった。どかんとテーブルに置かれた細長いプラスチックの巨大プレートに、あふれんばかりに盛られたチーズやらレタスやらナンヤラカンヤラに、さらに別皿で揚げトルティージャが来て、トマトベースのサルサが置かれた。大量に盛られているだけで、ある意味品がないとも言える見た目だ。うーん、メキシコにありそうでなさそうな料理です。

 もともとマイペース小食型のアチャは、その小さな口でいくらほおばってもおかずがまったく減らない。多分4分の1ぐらいでギブアップしたんじゃないかな。でもぼくとキオにそれを手伝う勇気はなかった。自分たちの皿がどんな量なのか容易に想像がついたからだ。

 そして例のごとく巨大プレートにフリホレス(小豆)やら肉やらナンヤラカンヤラ満載の残り二人分も、予想をまったく裏切らず「超Lサイズ」で、結局誰も完食できなかった。それぞれ半分ほど食べて、もう「ごちそうさま」という何とも情けない敗北を喫してしまった。ボクシングで言えば、ぼくとキオは3ラウンドK.O.ぐらいで、若干ながらも粘りを見せたのだが、アチャは1ラウンド開始早々意識不明という負け方だ。

 大食いを自負していたぼくは、プエルト・エスコンディード恐るべし、と勝者をたたえながらリングを後にしたのだ。

 3人で飲み放題ドリンクやシーフードサラダ込みでしめて1800円だったから、ちょっと日本の定食屋では勝てない量だろう。そしてホセがあのとき「メキシコ料理」とは言わず、あくまでも「メキシコ風」と言っていた本当の意味は、料理の中身のことを言っていたのではなく、サイズの違いのことを言っていたのではないかと、ぼくはそのとき勝手に一人で納得していたのだ。

  


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