第五話 「ビバリーヒルズには行ったけど・・・」――ロサンジェルス市内観光


ベニスビーチはクレイジービーチとも呼ばれる。海沿いの道を歩くアチャの後ろ姿

 小型バスは、ぼくらの他にアメリカ国内から来た観光客を中心に、日本人カップルやマレーシア人母娘(服装で勝手にぼくがマレーシアと決めた)なんかものせて出発した。最もオーソドックスなロス観光入門ツアーが恐らくこれで、ハリウッド、ビバリーヒルズ、ベニスビーチなんかを巡りながら、それぞれの場所で30分前後の自由時間が与えられた。

 「ここら一帯はミュージシャンたちが、安いアパートを求めてよく住みにきていた場所なんです。ミュージシャン同士の交流も活発で、ドアーズのジムモリスンなんかもここらにいたんですよ――」

 ガイドが運転しながらするこんな説明は、本当だろうとは思う。でもこんなにからっとしたさわやかな青空の下、あのLight My FireやThe Endなんかが作曲、演奏される様は申し訳ないけど想像しにくい。

 ツアー中を通して不思議だったのは、みんなが几帳面に集合時間4、5分前にはバスに戻って来たことだ。アメリカ人全般に対してぼくは大雑把なイメージを持っていたから、「5分前精神」を貫かれて少々意外な感じがしたのだ。時間ぎりぎりに車に入ってくる人たちには、非難の目で「待ちくたびれた」光線を集中砲火させる。まるで日本の観光地によくある半日バスツアーみたいだ。うろうろしていても時間が気になって手放しの開放感を楽しめない。

 そんな小刻みな解散と集合を繰り返すバスツアーで、残念ながらぼくはバスが走っている間中ずっとうとうとしていた。いくら頑張ってみても眠気でまぶたが閉じてしまう。張子の虎のように首を不安定に上下させては、車が曲がったり停車したりするたび目を覚ました。時差が相当体にこたえていたのか、移動中話し続けるガイドのおじさん(50過ぎの白人。サングラス。左耳のピアスが奇妙)の声が子守唄みたいで、心地良かったのだ。

 「右を見てください。このホールでビートルズがライブをしたとき、ジョンレノンはものすごく緊張していて、歌詞を間違わないようにギターのネックの裏側に歌詞カードを貼って歌っていたそうです――」

 移動中も通過する場所にちなんだ、さまざまなエピソードが紹介されていく。こんなに話し続けて運転もして、ガイドはかなりの肉体労働だ。

 隣にはオハイオから来たという40-50歳ぐらいのおばさんが座っていた。ぼくは何度となく窓際の彼女にもたれかかって寝てしまったらしい。その度に彼女はさりげなくぼくが目を覚ますように、膝に置いたかばんをわざと持ち上げたりした。「ごめんなさい」と言いながら起きるぼくと、IT'S O.K.――大丈夫、気にしないで、と答える彼女の言葉が行ったり来たりする。

 こんな調子だからツアーの後半では、肝心のビバリーヒルズで「プレスリーがこの家に2年間住んでいました」とか「ここがビバリーヒルズ90210で舞台となったところです」とか説明が続いているのも、途切れ途切れで聞いていた。後で知ったが、後ろの方の席に座っていたうちの奥さんとアチャも同じように寝たり起きたりしていたらしい。

 「この左側の歩道はよく映画に使われるんです。プリティーウーマンの最初のシーンでジュリアロバーツが立っていたのがちょうどここです――」

 ハリウッドなんかでこんな風に説明が加えられるたびに、隣のおばさんはOh my gosh!!と感嘆の声をあげた。席が1番前なのをいいことに、ことあるごとにガイドにしつこく質問している。でも他の観光客や隣のぼくとは決して会話を交わそうとしない。たとえぼくから声を掛けても、無愛想なままなのだ。黙って座っていたから眠くなったというのは、ぼくの勝手な言い訳だけど。アメリカ人は必ずしも陽気でオープンな人ばかりではない。

 テレビで見たことのあるような有名スポット巡りも7時半ごろにはひととおり終わり、車は各ホテルに立ち寄り乗客を宿泊先に下ろし始めた。少しずつ車内の人が減っていく。

 ぼくが「さすがはアメリカ」と感心したのは、ガイドのおじさんがツアーの終わりを告げたときに言った言葉だ。

 「皆さん楽しんでいただけたとしたら幸いです。国や場所によってはこのようなツアーの料金にはチップ代が含まれていたりして、ガイドがチップをもらうことを規制しているところもあるようです。でもこのツアーに限って言えば、お支払いいただいた料金はあくまでツアーのみの料金で、チップは含まれておりません。チップは自由に払うことができますので、そこのところは皆さんのご厚意にお任せします」

 そう言って彼はもう一度参加者に礼を言った。

 チップは客が黙って払うもの。良かったサービスに対してのあくまでも客側からの心づけだとぼくは考えていたから、「帰りはチップを忘れずに」などと、マイクを通してあっけらかんとアナウンスしてしまう合理的な(言ってしまえばあつかましい)このおじさんに、かえってすがすがしささえ感じてしまった。

 ところでみんなはと言えば、決まって2ドルずつ、これまたあっけらかんと渡してはバスを降りていった(運転席のすぐ後ろに座っていたから、みんながいくら払うのか知りたくて観察していた)。いたってシステマティックだ。

 クラウンプラザに着く頃には、すでに車内はぼくら3人だけとなり、外はすでに暗くなっていた。夕闇はつまり、間もなくロスを離れる時が近づいているのを告げている。そしてやっぱりぼくらも2ドルをおじさんに手渡し、運転席右側にある昇降口から降車した。

 こんな風に半日でたっぷりロスを満喫したぼくらは、これからも「成り行きを楽しむ」ことを忘れないように――そんなことをそれぞれの心に誓っていたはずだ。ホテルでサラダバーをほおばり、チェックアウトを済ませ、夜の空港へ向かった。長かった1日が終わろうとしている。

 搭乗手続きが早めに済んだので、セルフサービスのコーヒー(バニラコーヒーは相当まずい)を空港内のカフェですすり、出発時間の12時が来るのをゆっくりと待った。もうすぐメキシコだ。適度な疲労が心地良かった。

  


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