第七話 「やっと会えたね」―――オアハカ、グスマン家へ


市内循環バスにはバス停なんて存在しない。
時刻表もない。
だから何時にどこへ着くなんて誰も正確には言えない。

 空港から乗合タクシーに乗り込んだ。外は、午前中のさらさらした涼しさの中に鋭く射す日がまぶしい。アスファルトに映る自分の影が、すごくはっきりしているのが分かる。緯度で言えば台湾より南、沖縄なんかよりもちろんずっと南にいるのだから陽射しが強いのは当然だ。でも高地にいるせいで体感温度は意外に涼しい。もう午前9時になろうとしている。車で20分も走れば、2年間暮らしたオアハカの中心街にたどり着く。

 乗り込んだのは、8人乗りぐらいのバンだ。ぼくらは他の客2人とともに、ソカロ(中央広場)方向へ幹線道路を走った。舗装された道路は、路肩から外に向かいアスファルトが切れ切れとなり、やがて土や砂利がちの、でこぼことした地面が続く。道沿いにある家々の低い土塀には、いろんなプロパガンダが物々しい色使いのペンキで塗られている。それは政党のマークだったり、清涼飲料の派手なコマーシャルメッセージだったりする。家の背にはやっぱり丸く乾いた山が遠くの方に見える。

 大型路線バスが爆音と黒煙を吐き出しながらのろのろと加速する側を、ぼくらの車が追い抜いた。変わらぬ排気ガスが鼻をつくが、そんな匂いでも不思議に懐かしい。大きな道路はいつもこの匂いと黄色い砂埃が煙っている。

 そしてバンは、時々思い出したようにトペの前でスピードを下げた。トペは、車両が速度を出し過ぎないように設けられた凸状のコンクリートの盛り上がりだ。平坦でまっすぐな道にふてぶてしく横たわったトペに差し掛かるたび、多くの車はやれやれまたか、とあきらめ半分に徐行することになる。強引なスピード規制装置。ものすごく有能なこの「警察官」は、いつも道路の真中で寝そべっているのだ。壁に塗られたペンキ、排気ガスの匂い、トペ...。そんなすべての細部に、ぼくは知らず知らず神経を集中させている。

 空港と隣接して、だだっ広い空き地がある。その敷地は運動公園になっていて、よく友人のエリックと週末テニスをしたものだ。フェンスがないので、打ち返さないとボールは止まりたくなるまで好きなだけ転がっていく、そんなどこまでも続く空き地だ。今も少年たちがバスケやサッカーに興じている。何も変わらない。6年ぶりだというのに、全くと言っていいほど外観に変化は見当たらない。

 でもサーブが絶妙にうまかったエリックは、仕事を求めて今はメキシコ北部の方へ行ってしまい、オアハカにはいない。学生時代に知り合った同年代のメキシコ人の友達は、多くがもうオアハカにはいない。アメリカの大学で勉強していたり、他の州で英語の教師をしたり、企業で働いたりしている。そういうぼくだってオアハカを後にした一人になるのかも知れない。結局は日本に仕事を求めて――。

 車内の1番後ろの席に陣取ったぼくらは、窓越しに流れていく街の風景を、それぞれが違う思いを胸に秘めて眺めていたにちがいない。多分アチャは初めての場所で初対面の人たちと出会うことに、少々の不安とそれ以上の期待を胸に。昨年の11月にオアハカを訪れているキオは、これからの忙しい予定がスムーズに進むことをきっと願っていたのだろう。そしてぼくはそのとき、ただ早くみんなに会って、おいしい料理をたくさん食べることばかりを考えていたのだ。

 すぐ前のシートにはロスから来た大きなアメリカ人の青年が座っていた。4、5歳ぐらい年上だろうか。彼は乗り込んでからというもの、真後ろに座るぼくと、肩越しにずっと話していた。最初は横を向いて話しているので、誰に話し掛けているのかよく分からなかった。でも一人旅をする人たちは、よくこんな風に誰ともなく話し掛ける。それに相槌を打ってきた人と言葉を交わしては、知り合っていくのをぼくは何度となく見てきた。だからぼくはそんな放り出された言葉というきっかけを、できるだけ軽い気持で、でも丹念に拾い上げることにしている。これまでにそうやって旅の途中に知り合った人たちも多いし、そんな出会いはいつも素敵だったと思っている。

 白人のルックスをしているが、どこか顔立ちにラテンがただよっていると言えばいる。彼の両親はそれぞれグアダラハラとサカテカス出身のメキシコ系だが、アメリカに生まれた彼は完全にアメリカ人としてメキシコに遊びに来ている様だった。オアハカから入り、ベラクルスなど3つの都市を見て周り、そして10日間で帰るのだという。

 ぼくが「じゃあメキシコ系2世なんだね」と聞くと、困ったような苦笑いをしながら、「そんなものかな...」とつぶやいた。決してぼくの言葉を肯定しているようには見えなかった。それほど「メキシコ」は彼にとって実感の薄い言葉なのだろうか。その白人らしい容姿のせいで、自分がメキシコ人の血を引くことを強く意識させられることなしにアメリカ人として育つことができたのかも知れない。

 身なりこそラフなシャツと、大きなバッグパックで若い旅行者を装っているが、ぼくには彼が普段ビジネススーツを着て、ネクタイをしているところを容易に想像できた。はっきりと理由は分からないが、ただこの人が仕事仲間だったらすごく信頼できるんだろうなと思わせる、そんなしっかりした口調と、人あたりの良さを話しの中に感じたのだ。もしかしたら結構大きな会社の相当良いポジションにいるのかも知れない。

 「何も決めていないんだ...」

 そう彼は言った。どこのホテルに泊まるのかも、そして何をするのかさえ。ソカロの1ブロック手前で車を降りた彼は、Good Luck!そう言って大きなその体で大きなバッグを持ち上げ、ゆっくりと通りの雑踏へ消えていった。

 その大きな背中のアメリカ人とぼくとの間には、いくつかの共通点がある。夏休みの時間がすごく限られていること。メキシコという「外国」に少なからず縁や愛着を感じて、今メキシコに来ていること。そしてこの夏が終わる頃、自分の国へ戻り、そこで何事もなかったかのように仕事をしているであろうこと...。

 でもたった一つ、違っていることがあった。「何も決めてないんだ、どこのホテルに泊まるのかも、そして何をするのかさえ」――そう、現時点で彼には目的地や会いたい人が存在しないのだ。だけどこの旅行に関して言えば、ぼくにはそれらがはっきりとある。それはほんのわずかな違いのようでもあり、ものすごく決定的な違いであるようにも思えた。

 運転手には、ぼくが告げた通りへの行き方があやふやだったようだ。ソカロを越えてあと数ブロックという段になって、ぼくに念を押すように聞いた。

「そこってピザ屋のある角のところだよねえ?」

 家の周りにピザ屋なんかなかった。少なくとも6年前までは。だからぼくはその店の名前を知らないと言った。分かりやすいように「ソレダー教会」のすぐ前の道だと言い方を換えた。オアハカの守護神、聖母ソレダーのすぐ目の前だ。終始無表情に運転を続けていた丸顔の運転手が、そのとき初めて表情を少しゆるめたのがバックミラーに映った。

 教会の前の緩やかな勾配を少し下りたところで、大きなチョコレートブラウンの門が見えてきた。本当に重そうな3メートルはあるその木製の門は、ぼくが何千回と出入りした門だ。ミエール・イ・テラン109番地は紛れもなくグスマン家の住所。ぼくはこの住所に宛ててこの6年間に何度手紙を送っただろう。ドア−を後ろに向かって滑らせ車を降りたぼくらは、その門の前でそれぞれのトランクを下ろしながら運転手に礼を言った。無表情な丸顔が、少し照れ笑いをして「何でもないよ」と右手を上げた。

 ブザーを鳴らすとすぐ紺のワンピースを着たグスマン夫人が、満面の笑みをたたえてぼくら3人を出迎えた。会いたかった1番目の人だ。ぼくらはやっと会えたねと大きく両手を広げ抱き合った。本当に大きく。

  


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