第11話 「セルフィン銀行とペソ、そしてラウルの一言」

ソカロから2ブロック以内に両替商や銀行がひしめく。

COMPRA 9.08
VENTA 9.25

 たいていの銀行や両替所では、こんな白い文字が貼られた黒いボードが入り口に立てかけてある。これは実はレート表示で、どこで換金するのが得か一目で分かる仕組みになっている。「COMPRA」は、ドルをペソへ両替するときのレート。逆に「VENTA」はペソからドルへ戻したいときのレートだ。1ドル出せば9.08ペソが返ってくる、つまり1ペソ約12円の計算だ。もちろん日ごと為替は変動するから常に一つの銀行が安いとは限らない。

 メキシコに着いたばかりのぼくらには、ペソの持ち合わせがなかった。オアハカの空港に両替できるところはなく、市内までの乗合タクシーの料金はドルで支払った。だからこれから5日間の滞在費を、ペソで確保しなくてはならない。メキシコでは他の通貨がほとんど流通していないので、ペソがなくてはコーヒーも飲めないし、タクシーにも乗れない。だから、ぼくらのような来たばかりの外国人は、ひとまず銀行や両替商のところへ出向くことになる。

 街の真中を東西に横切るインデペンデンシア通り。グスマン家からその道を東へ3ブロックも進めば、中央広場「ソカロ」に着く。歩いて5分ぐらいの距離だ。その周りには両替所や銀行がいくつもあって、そのうちの一つセルフィン銀行でグスマン家三男のラウルが働いている。考えてみれば4人兄弟のうち3人が銀行勤めだからこの人たちは一応エリート兄弟なのだ。

 道を歩いていると気づくが、ここには2階より高い建物が見当たらない。これは街の景観を損なわないよう、州政府が定めているためだという。碁盤の目状に整然と区画された道が街を東西南北に駆け抜け、高さの揃った石造りの家が並ぶ。白を基調とした壁が高原の強い陽射しを吸い込み、涼しげで美しい。銀行や郵便局もそんな景色の中にすっかり溶け込んでいて、そのさりげなさに逆にはっとさせられることがある。 

 ただ銀行が他の建物と違うのは、入り口に長いライフル銃を持った守衛がいることだろう。さらに客の応対は防弾ガラス越しだ。まあ、それだけ治安が悪いとも言えるし、逆に日本の銀行が無防備と言えるのかも知れない。でもこれが本当の「窓口」だと納得させられはする。

 銀行の重厚な石造建築に足を踏み入れるなり、ぼくは近くに立っていたスーツ姿の社員に、「ラウル・グスマンに用があるんだけど」と伝えた。2階にいると聞いていたから、呼んでもらうのが手っ取り早いと思ったからだ。でも実は1階、それもぼくらのすぐ近くに本人は立っていて、窓口に並ぶ客の列を整理していた。てっきり部屋にこもって何やら難しいデータ分析でもしているのかと思っていたから、入場整理みたいなことをやっていたのでぼくは拍子抜けしてしまった。

 「あれー、2階で働いてるって聞いたのにこんなところでお客さんの整理してるんだ」

 「い、いや、今日だけだよ。ほらもうすぐ新学期が始まるからいっぱい学生が支払いに来てるでしょ。だから入場整理も仕事のうちさ。ところで元気にしてた? 何時に着いたの?」

 ラウルはいつもクールに装おうとする。かっこよく、頭が切れて、機転がきく...そんな風に。話し方もオアハカ生まれにしては相当早口で、本人に言わせればイントネーションがメキシコシティーのスタイルに近いらしい。確かに大学時代はメキシコシティーで暮らしていた。自分は他人と違う都会派で、できるやつでなくてはいけない。なのに今日は見られてはいけないところを見られてしまったのか、少し動揺しているようだ。

 ラウルが大学を卒業しオアハカに戻ってきたばかりのときに、ぼくはグスマン家のアパートに住み始めた。それから間もなくして、体中に湿疹ができ10日ほど学校にいけなくなってしまったことがあった。医者は日光に肌をさらすとひどくなるから、家でじっとしていろと言ったが、ぼくはかゆくてかゆくて我慢できず、眠るのもままならない日々を送った。ラウルはそんなとき、ぼくが住む隣のアパートまで毎日食事を運び、ぼくが食べ終わるまであれこれ話しながら待っていてくれた。

 ぼくの顔はひどく腫れ上がり、鏡で見ても相当醜く、自分でも嫌になったのを今でも覚えている。食事のポリッジをほとんど口も開けられずつらそうに食べるぼくに、嫌な顔一つ見せず冗談を言いながら付き合ってくれた。それからぼくにとってラウルは、家族の中で一番親しみを感じる存在となったのだ。そんなときのことを思い出していると、お互い仕事を持ち、こんな風に彼の職場で再会するなんてすごく不思議だ。

 ぼくらはドルを両替しに来たと彼に告げ、窓口の列に加わった。うんざりしながら長い列を待つ学生たちの羨望の眼差しを感じつつ、ほとんど人がいない左側の列に並ぶ。ぼくも大学の授業料を振り込むために、学生の列に加わったことがあるが、本当に長くてうんざりする。

 ぼくらを左側の2列に誘導してから、ラウルは「レートをチェックしてくる」と言い残し、脇にあったデスクのパソコンに向かってかけて行った。

 ――レートをチェックするも何も、外のボードに1ドル9.08ペソって書いてあったじゃない...。何やってるんだろうラウルは。

 そんなぼくの「やれやれ」感をよそに、彼は小走りで戻ってきた。

 「あんまり変わらないや。9.10だ」

 そう言ってお金を受け渡すためのすき間から、「9.10」と大きく書いた紙切れを滑らせ、防弾ガラスの中にいる女の子に渡した。どうやらラウルのおかげで優遇されたレートを使えるらしい。うれしいけど、何の手続きもなしにボールペンの走り書き一つでレートを操作するなんて、すごくいい加減だ。確かに日本でも対企業の優遇レートは存在する。もしかしたら大口顧客の場合は個人でもそういうことがあるかもしれない。だけどこんな風にただ個人的な知り合いというだけでレートが変わることはまず考えられない。

 メキシコにいるとよくこんなふうに知り合いが「融通」してくれる場面に遭遇する。よく言えばフレキシブル、悪く言えばいい加減だが、そんな気質がこの国を動かしているのも確かだ。何もかも正式書類だ、証明書だと言ってしまっては、メキシコの人は疲れてしまって働かなくなりそうだ。ただでさえ仕事をしている顔は面倒くさそうなのに――。

 いつだったか日本の大学で、メキシコ人留学生と免許の取り方について話したことがあった。ぼくは日本では教習所に通い、箱庭のようなところで十分練習してから公道に出て、最後に試験に合格してやっと免許をもらえるのだという説明をした。そしてそれには多額のお金がかかることも。でも彼にはぼくの言う「箱庭での練習」が全く理解できず、会話がちぐはぐになっていった。

 「車が走るのは普通の道路なんだから、道を走らなきゃ意味ないじゃない」

 「でも道路に出る前に、練習所でちゃんと運転できるようになるまで練習するんだよ」

 「分からないなあ。道で実際に運転しなきゃ練習にならないよ。それに免許なんか試験受けなくてもメキシコではコネさえあればすぐもらえるよ」

 「コネって、試験も受けずに免許をもらうの?」

 ぼくら二人の話は結局最後までかみ合わなかった。その留学生によると、免許なんて知り合いを通じて手に入れればいいもので、練習はそれから公道ですればいいと言うのだ。だから箱庭練習は、全くばかげた無意味なことだと鼻で笑われてしまったのである。彼の言うメキシコでの運転免許の取り方は、日本で言えばまったくもっていい加減なのに...。

 メキシコに住み始めた頃、そんな「いい加減」なところにぼくはすごく違和感を覚えていた。決まりや約束事はあってないようなもの、別に守らなくても強くとがめられることはない。細かなところでいらいらしたこともある。でも時間が経つにつれ、それがだんだんと心地良くなってきてしまったのだ。細かいところはあまり気にしくていいし、こんなのもありかなという感じで。今のような場面でちょっとぐらい換金レートをサービスしても、別に誰もラウルをとがめないのだろう。知っている人をただ少しだけ気持ちよくさせただけだ。

 そんなわけで、ぼくは他の観光客よりほんのちょっといいレートで換金させてもらった。トラベラーズチェックにサインをしてパスポートと一緒に渡すと、窓口の女の子はぼくの滞在先を聞いてきた。どうもホテルの名前をチェックの裏に書き加えるのが決まりみたいだ。

 そんなこと言ったってぼくはラウルと同じ家に泊まっている。終始無表情にたんたんと事務処理をこなす彼女に、ぼくはただ正直に「ラウルのところ」と答えた。下を向いて細かな字でパスポート番号や名前をメモしていた彼女も、このときばかりは手を止め、顔を上げてぼくとラウルをまじまじと見くらべた。それから思い出したように緊張した口元をゆるめて、フニャッと笑った。一瞬ぼくの言葉の意味がよく分からずあっけに取られ、それから笑いがこみ上げてきたみたいだ。そしてそれは、「窓」の中で肩肘を張って働く彼女が、限りなく素顔に戻った瞬間だったのだろう。

 そうやってぼくが比較的スムーズにペソを手に入れたのに、隣の窓口でキオが両替にてこずっている。列から外れ、脇で待っていてもなかなか来ないのでラウルが様子を見に行った。実はキオのパスポートのサインがトラベラーズチェックのサインと違っていたのだ。ぼくと結婚して名字が変わり、パスポートの署名も新しいものに変えていた。でも換金したいチェックは結婚前に買ったもので旧姓のサインのままなのだ。

 困ったのは対応した女の子だ。「はんこ」の文化がないメキシコで、もっとも大事なのは間違いなくサインだ。ましてや銀行では、盗まれたトラベラーズチェックが換金されないよう、パスポートとトラベラーズチェックのサインが一致するのを確認することになっているらしい。結構な金額のチェックを抱え、途方にくれそうになっていたキオの横からラウルが登場した。

 彼は事情をすぐ把握し、パスポートとチェックを一瞥、そして言ったのだ。

 「大丈夫、通るよ、これ」

 その一言ですべては解決した。やっぱりかっこいいじゃないラウル。彼が「通る」と言ったからそれは間違いなく「通る」のだ。ぼくらはそのとき、この窓口の女の子たちの上司がラウルであることに気づいた。たまたま下っ端のように入場整理をしていたけど、それも本当に今日一日だけみたいだ。そして実は結構えらかったラウルと、程よいこの国の「いい加減」さに、ぼくらはまたまた助けられてしまったのだ。

  


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