第15話 「動物たちはどこへ? そして山羊男は? -後編-」

ちょっとカッコ良すぎませんか? 市場で一番目立っていたのがこの人だ。

 オアハカの市内を離れてすでに1時間ほど車を走らせている。オコトランに着いた頃にはすっかり陽射しが強くなり、からっとした空気に砂埃が舞っている。ここまで来ると地面は舗装されていない。市場に近づくにつれ、村の女性が山羊を連れて歩くのを見かけた。

 「山羊を買ったんだね、あの人」

 ガブリエルが説明した。山羊は麻の縄で後ろ足の一方をくくられ、歩きにくそうにしている。生き物というより「肉」としてしか見ていないのだろう、とにかく「早く歩け」と乱暴に縄を引っ張っている。

 このあたりでは、結婚式で「バルバコア」と呼ばれる子山羊肉の蒸し料理が伝統的に振舞われる。ぼくも食べたことがあるが、ローレルを鍋に敷き詰めて蒸された山羊肉は、トルティージャにくるんで食べると相当な絶品なのだ。

 山羊を連れて帰る人の横を通り過ぎながら、ぼくらは市場に到着した。家畜のオークション会場は、動物の種類によってコーナーが何となく分かれている。ずっと向こうに山が見えるだけの荒野の真中で、馬用には1頭1頭を仕切って入れた柵が設置され、豚はなぜか屋根がある広い場所で取引されている。

 ぼくらが到着したとき、ちょうど2頭の巨大な豚が軽トラックに載せられようとしていた。豚は必死にもがくが、足がロープでくくられていて逃げようがない。1頭はすぐに荷台に上ったが、もう1頭は蹄が滑り、重い体がなかなか持ち上がらない。何しろ2頭の豚は、荷台にやっと収まるかどうかという太り方なのだ。男たちは「ほらほら早くしろ」と尻を乱暴に突き上げながらもう1頭を無理やり荷台に上らせ、やれやれといった風に車の運転席に乗り込んだ。

 そんなワイルドな光景を横目に、ぼくらは目をらんらんと輝かせながら市場内を歩き回った。雲のない濃い青空の下、ある場所にだけ人が群がっていて、皆一様に山羊を連れている。どうも山羊売り場のようだ。ソンブレロをかぶった男たちが、茶色や黒の山羊の首にロープをかけて立っている。どう見ても売り手の方が買いに来ている人よりかなり多く、供給過多だ。その数50人は軽くいそうだ。

 ガブリエルがおもむろに中の1人に近づいていった。

 「すみません、この子山羊いくらするんですか? ちょっと興味があったもので...」

 こんな質問をするのも、多分ぼくらを楽しませようとしてのことだろう。戻ってきたガブリエルは、いたずらっぽく笑いながらその男の言葉を繰り返した。

 「2頭で合わせて350ペソで買うっていう人がいたんだって」

 1頭の子山羊が2000円ちょっとということになる。何だかすごく安いけど、「肉」として考えればそんなものなのだろうか。

 人だかり(山羊だかり)の中に、ぼくはある強烈なファッションの男を発見し、その姿をどうしても写真におさめたくなった。ジーンズに皮ぞうり、黒Tシャツでキメた恰幅のよい大男だ。

 ソンブレロをかぶり、真っ黒いレンズの大きなサングラスを掛け、独特の雰囲気をかもし出している。いかにも強面だ。そして何よりも顔のかなりの部分を覆う立派で濃厚なあごひげが素敵すぎるのだ。

 こんなド迫力髭男が、ジーンズのポケットに手を突っ込んで立っている姿はどう見てもメキシコの典型的な「男の中の男」だ。でもその手から伸びた縄の先には山羊が...。びしっとキメた大男が、馬ではなくて小さな山羊を連れている様は妙にかわいいのだ。

 「写真撮らせてもらえませんか?」

 ぼくは我慢できずに、とうとう男に話し掛けた。

 が、すぐに、「何だよ、何か俺の格好に文句あるのかよ」とでも言いたげな空気をぼくは男から感じ取った。真っ黒のサングラスのせいで表情はまったく読めない。

 「なんで俺なんだ?」

 少しかすれた低い声が短く響いた。サングラスの向こうの目は、もしかしたら山羊に買い手がつかずにいらだっているのかも知れない。でも、ここまで来たら後にはひけない。何とか首を縦に振らせてやろうと、ぼくはとっさにたたみかけた。

 「いや、そのファッションが余りに格好良かったから。メキシコの男って感じだし、何よりその髭がいいんです...」

 そう言ってぼくは相手の反応を待った。断られたら引き下がるしかないけど、頼まずに帰るよりはいい。ぼくはそんなに気が強い方ではないと思うけど、山羊が横にいるせいでこんな強面の前でも結構落ち着いていられたのだ。

 髭サングラス山羊連れ大男は、隣にいた小さな男としばらくぼそぼそ話していた。なんだよ、こいつ、変わってるよな、中国人かな、ぶつぶつ...とか言っていたのかも知れない。

 そしてぼくの方を振り返って吐き捨てるように言った。

 「分かったよ、撮りな!」

 ぼくは手短に礼を言い、その屈強そうな男の前で膝をつき、素早くカメラを向けた。彼がポケットに手を入れたまま、実はしっかりこちら向きにポーズを取っていたことに気付き、ぼくは遠慮なくシャッターを押すことができたのだ。この山羊を連れた男の写真は、今回の旅のベストショットだ。

 途切れることなく動物たちの載ったトラックが到着するのを尻目に、ぼくらは市場を後にすることにした。時間が限られているぼくらは、これからサン・マルティンに行かなくてはならないからだ。

 車の方へ並んで歩きながら、ガブリエルはぼくにこの市場について少し付け加えた。

 「スペイン人が到来するずっと前から、オコトランではこんな風に動物が取引されてきたんだ。ただ、そこに集まるのは今と違って、七面鳥、イグアナ、ガラガラ蛇でね、馬も山羊も鶏も豚も牛も、16世紀まではメキシコにいなかったんだよ」

 大航海時代にスペイン人が馬や牛を連れてきたのだ。鶏肉、豚肉、牛肉は現在のメキシコ人家庭の食卓で余りにもメジャーだが、長い歴史の中では比較的新参者ということになる。

 ぼくは再び走り出したタクシーの中で、動物市場に思いをはせた。この国では他にも兎やアルマジロ、それにナワトル語で「ソロイツクイントレ」と呼ばれる毛のない小さな犬も食べられていたという。

 ガブリエルのようなベテランガイドと村を歩くこと、それはつまり時間を超えてぼくらの想像力を解き放つことなのだ。もしかしたらあの山羊連れ髭面大男も、昔なら七面鳥を連れて、隣にいた背の低い男と立ち話をしながら高値で買ってくれる客をじっと待っていたのかも知れない――。

  


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