第16話 「コヨーテの遠吠えする村」

現実と幻想が交錯する。こんな組み合わせは木の形から偶然生まれたのだろう

 アルマジロの背中に、カエルが張り付いている。
青い鹿の腹にはオレンジ色の大きな花が咲く。
ユニコーンは空に飛び立とうとしているのだろうか。この一角獣には大きな羽があるのだ。

 こんな不思議な生き物をモチーフにした「アレブリヘス」は、オアハカの数ある民芸品の中でも最もカラフルで遊び心のあふれる彫刻だ。オコトランの家畜市場から再度北へさかのぼり、その生産地であるサン・マルティンへ車を走らせた。

 「アミーゴ、あの坂を上がったところに小さな木が見えるでしょ。あそこで止めてくれる?」

 ガブリエルは必ず「アミーゴ」と呼びかけてから、運転手に道を伝えた。

 「これからハコボの家に行くからね」

 ガブリエルが1番好きなアレブリヘス職人がこの家の主であり、ぼくらが会いに来た職人、ハコボ・アンヘレスだ。

 ずかずかと我が物顔で家の敷地内へと入るガブリエル。呼び鈴のないこの家には、用があれば勝手に入っていくしかない。その背中に遠慮がちについていくと、すぐ軒先にいた小柄で若い女性がぼくらに気付いて手を差し伸べてきた。

 「あー、ガブリエルじゃない! 入って入って。ハコボこっちにいるから」

 ハコボの奥さんのマリアだ。褐色の肌、長い髪は三つ編みに束ねている。満面の笑みはガブリエルの顔を見てのことだろう。

 マリアに連れられて入ったテラスは工房になっていて、ペイントする前の白い木彫りがセメントの床を埋めつくしていた。牛、イグアナ、猫、魚、オットセイ、熊、コヨーテ...。手のひらにのる小さなものから両手で抱えないと持てない大きなものまで、足の踏み場もないくらいにぎっしり並べられている。ぼくらはその数の多さに圧倒されて立ち尽くした。

 家の中から現れたハコボは、ぼくらと一通り挨拶を交わしてからガブリエルと楽しそうに話し始めた。ベテランガイドとこの若い職人は長い付き合いの友だちなのだ。「職人は気難しい」というぼくのイメージを覆し、相当人なつっこい笑顔で話し続けている。ゴムぞうりだし、シャツはズボンから出ている、何だか親しみやすい素朴な男だ。

 12歳からアレブリヘスを彫りだして、現在28歳。もともと職人の家に育ち、自然に木から動物を彫り出す技術を身につけた。今では同年代の奥さんと二人三脚でアメリカやヨーロッパに作品を輸出している。メキシコではほとんど作品を売らずに、むしろ外国を相手取る腕利き職人なのだ。

 「オアハカなんかで店に出すと、デザインを盗まれるんだよね」

 とハコボは説明した。研究を重ねて、長い時間を掛けて創り出されるオリジナルデザインは、容易に人目にさらすことのできない企業秘密だ。ぼくはアレブリヘスについていろいろ知りたくて、完成するまでの過程を教えてもらえないかとお願いした。

 「あの山、見える?あそこでコパルっていう木材を買ってくるんだ」

 順を追ってハコボは親切に説明し始めた。はるか彼方にうっすらと見えるシエラ・アスル(青い山)を指差しながら、原材料となるコパルの仕入れについて話し出した。お香としても使われるこの木材は湿気を多く含み心地良い香りがつんと鼻の奥までつき上がってくる。

 「枝の切り方次第で出来上がりが変わってくるから、ただ木を買ってくればいいってものでもないんだよ」

 枝を切ってもらう段で、すでに頭の中には彫り出す動物がしっかり浮かんでいるという。ときに自ら木に登り、枝を切り落とす。ハコボは足元に転がるコパルを持ち上げ、「これはキリンになるんだ」と直角に曲がった太い枝を手でなぞった。長い首、それに続く胴体。彼の手に掛かればあっという間にキリンが姿を現すのだろう。

キリンにするんだ、とハコボ

 作業の流れを実演で示すため、ハコボは作業台である太い切り株の上に直径10センチほどの枝を置き、マチェテと呼ばれる山刀で皮をはぎ始めた。椅子に座り木片をいろんな方向に素早くひっくり返しながら、前屈みでがつんがつんと荒く削っていくその表情には、もうやさしい笑顔は見あたらない。

 頭にあるイメージを立体化すべく、取りつかれたように木の塊に刀を振り下ろす。ほんの10分もしないうちにおぼろげに獣の形が浮かんでくる。そして半時間もたてば荒削りのコヨーテが姿を現した。さらに小さな彫刻刀で細部に手を入れ、やすりをかけて完璧に動物の形ができるまでおおよそ5時間かかるという。

 そこまで終われば、次は天日で4日間乾燥させる。防虫剤を塗り、ベースの色を全体に塗る。そして仕上げにあの繊細でカラフルかつ大胆なペイントが、マリアを筆頭とする女性たちを中心に施されるのだ。ハコボが木を削っている間中、横の大きな机で4人の女の子が息を凝らして色を着けていた。極彩色の点と線がやわらかい木の曲面を丁寧になぞる。ニス塗り、ペイントミスのチェックにも余念がない。

 こうして地道で気の遠くなるような手間を掛けられて、動物たちはある種温もりのようなものを手に入れる。きっと職人たちの体温をそのまま受け継ぎ、血が通い始めるのだ。

 床にごろごろと並ぶ着色前のアレブリヘスの中に、ぼくは不思議な格好をしたカエルの置物を見つけた。高い椅子にちょこんと腰掛け、長い脚を組んで座っている。仕草だけ見ればまるで人間だ。さらに胸の高さでは、何やらお椀のようなものを両手のひらの上にのせている。一体何を大事そうに持っているんだろう?

 「あー、これ?こいつはメスカルを飲んでるんだ。他にも葉巻をくわえているのもあるよ」

 ハコボはよく見つけたねと声を出して笑った。竜舌蘭から作られるメスカルは、地酒としてオアハカで最も親しまれている。大切にお酒を抱えているのは、度を越したオアハカの男たちのメスカル好きをユーモラスに皮肉っているのかもしれない。


ペイントされる前から、このカエルはすでに売約済みだった

 ぼくは着色を待つばかりのこのカエルを、出来上がったら譲ってくれないかとハコボに頼んだ。こんな不思議で楽しいカエルは日本に送ってもらってでも部屋に置いておきたい。だけど、彼の答えはノーだった。

 「もう売約済みなんだ、ごめん。ほら、裏に名前が書いてあるでしょ。ちょっと前にアメリカから来た女性が予約していったんだ」

 なるほどぼくらより先にここを訪れ、同じ作品を気に入った人がいたのだ。やはり手の込んだいい作品は、着色される前からどんどん売れていく。ハコボはサン・マルティンの中でもトップクラスの職人なのだ。残念だけどあきらめるしかない――。

 アレブリヘスはメキシコがスペイン人に征服されるずっと前に、子供のおもちゃとして作られたのが始まりだと言い伝えられている。後に神への捧げ物としても使われるようになったとハコボは付け加えた。この地に根付いた先住民サポテコ族の間で世代を越えて受け継がれ、今では外国にまで輸出され多くの人に愛されている。

 帰り際、ハコボは家の中にあった完成品の中から、とっておきのコヨーテを見せてくれた。青や赤など鮮やかな原色を使うことが多い中、そのコヨーテの色使いは「土」を連想させた。

 「地味でしょ。でもどうしてもぼくらのルーツに立ち戻ったデザインをアレブリヘスに取り入れたかったんだ。サポテコ族の伝統的な幾何学模様を自分なりにアレンジしたから、塗るのにものすごく時間が掛かるんだけど...」

 黄土と茶をベースに、緑や黒の線で不思議な幾何学模様が描かれている。確かに眼に飛び込んでくる色はなく、華やかな他の作品とはまったく趣を異にしている。でもその細かなデザインと落ち着いた色使いは、見る者をホッとさせる力があった。

 この幾何学模様はオアハカ近郊に点在する遺跡にヒントを得て、いろんな本を見ながら完成させたという。バランスよく模様を配置できるようになるまで、相当な研究を重ねたに違いない。

 「自分のルーツに立ち返って...」

 ハコボは熱を込めてこう語った。

 「アメリカの先住民たちは自分たちのルーツをアクセサリーなんかで表現しているでしょ? どうしてぼくらはできないのかってずっと考えてたんだ」

 アメリカでウッドクラフト職人として教室を開いたこともあるハコボは、外の文化に触れ、逆に自らの内面に宿るアイデンティティーを追求する欲求に駆られたのだ。

 ぼくとキオは相談して、空に向かって遠吠えするこのコヨーテを買うことにした。いくら持ち運びに苦労したとしても、この貴重な作品を置き去りにはできなかったというのが正直なところだ。買わなければ後になって強烈な未練がこみ上げてくるに決まっている。

 気に入ってくれてとてもうれしい、とハコボは何度も繰り返した。

 「ちょっと待ってて、サインしてくるから」

 白い絵の具で自分のサインと連番の「#1」をコヨーテの腹に丁寧に書き込んで戻ってきたハコボは、本当にうれしそうな表情をしている。よっぽど力を入れた作品だったのだろう。でももっとうれしかったのはぼくらの方に違いない。サン・マルティンでハコボに出会い、「サポテコの心」を高らかに遠吠えするこのコヨーテの処女作にめぐり合えたのだから。

  


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