第19話 「本当に小さな同窓会−後編−」

オデマリスはフロールの一番上のお姉さんの娘だ。小学生なんて信じられない。

 背後からぼくの名を呼ぶ声がする。フロールはカテドラルとソカロの間にある石の段差に腰を掛け、待ち合わせやただ暇を持て余した人たちに混じって足を宙でぶらぶらさせていた。もっと分かりやすいところで立っている姿をぼくは勝手に想像していたけれど、たぶん待ち疲れて座ることにしたんだろう。15分の遅刻の後に、ぼくは無事彼女との再会を果たすことができた。姪のオデマリスも一緒だ。利口そうな小学生の女の子という感じだが、9歳になる彼女をぼくは赤ちゃんのときから知っている。

 「私ね、あんまり遅いから約束の時間を1時間勘違いしたんじゃないかって心配してたんだよ。本当は5時だったんじゃないかって」

 ぼくはとにかく約束の時間を大幅に遅れたことを詫びた。フロールはぼくの中で1番時間に正確なメキシコ人で、やっぱり今回も遅刻をしなかった。でも本当に会えてよかった。2人ともオアハカを離れ、そしてまた偶然舞い戻ったこの場所で会うことができたのだから。長かった髪をショートにして、何だかエレガントな雰囲気になっている。ジーンズ姿が多かったのに、今は紺のワンピースを着て現れたから余計にそう思うのかも知れない。

 街の中央広場ソカロは、フロールと待ち合わせたカテドラルが北に、州庁舎が南に面するちょっとした公園だ。太陽をいっぱいに浴びた大木の葉は緑が濃く、目を凝らすと太い幹にリスがいたりして、ちょこまかと動いてはぴたっと止まるのを見られることもある。緑色の重そうなベンチはほどよい間隔を空けて配置され、恋人たちが語らったり、疲れた観光客がちょっと一休みするには都合がいい。午前中のベンチで老人たちが新聞を読みながらひなたぼっこをし、大きな声で話をしているのもよくある風景だ。そして本格的に一息入れたければオープンエアのカフェが周りにいくつも並んでいるからそこに座ればいい。

 ぼくとフロールとオデマリスは、そんなカフェの1つ「テラノバ」でコーヒーを飲みながらおしゃべりすることにした。昼間ならそこでよくエスプレッソを飲み、夜に立ち寄ればビールを注文し一緒に出てくる皿いっぱいのピーナツをつまんだ。にんにくや唐辛子と一緒に赤茶色の皮ごと煎ったピーナツはたまらなく香ばしい匂いがしたし、塩加減もちょうどよかった。友だちと集まってドミノをやってはこてんぱんに負けたのもこの場所だ。初心者なんだからもう少し手加減してくれてもいいものなのに――。

 「ねえ、聞いて。私今の大学のキャンパスにいると、インドだかパキスタンだかバングラデッシュだかよく分からない国の男が話し掛けてくるの。それでね、何だか分からない言葉でべらべら話してくるのよ。私のこと、自分の国の女だと勘違いしてるわけ」

 フルブライト奨学金でコロンビア大学に留学しているフロールがまずぶつかった悩みは、そんな正体不明の男たちだった。確かにフロールはアジア人でも十分通用するような顔をしている。それに目が大きくてチャーミングだし、いつも着こなしはかっこいいから男たちも声を掛けずにいられないのだろう。ぼくがその場にいたとしたら「もてもてなんじゃないの、あんた」と笑い事で済ませてしまうが、どうも彼女は勘違いされること自体が気に食わないようだ。

 「だから、髪の毛切っちゃった。向こうの女の人は多分長い髪の人が多いから、こうすればもう近寄ってこないと思ってね。で、やっぱり髪の毛短くしてからわけの分かんない男たちはもう寄ってこなくなったよ」

 得意げな表情でフロールはフンと微笑んだ。ぼくは初めて見た彼女のショートヘアの理由がそんなところにあるなんて思ってなかったから、そのしつこそうな東南アジア野郎どものナンパ大作戦を想像して妙に可笑しくなった。でもショートも素直に似合っている。

 半時間遅れでキオとアチャもテーブルに加わり、ぼくはアチャをフロールに紹介した。そしてみんなでできるだけ日本語を話してみようと提案した。フロールってどこまで日本語を覚えているんだろう? まあ、ゲームみたいに楽しめばいい。アチャも相手がフロールなら、ぼくらを通さずに直接話をすることができるはずだ。始めてみると日本語から離れて久しいはずのフロールが、かなり会話を維持できるのを知って感心した。もちろんたどたどしくて間違いだらけだけど、ちゃんと会話が成立するのだからそれはやっぱりたいしたものなのだ。アチャもフロールが分かるようにゆっくりと話すコツをつかんだみたいだ。

 でもぼくらの中に1人、せっかく来ているのに会話に加われない人がいるのに気付いた。9歳のオデマリスだ。ぼくは彼女が退屈しないようにちょっとした合間を見つけては話し掛けた。知り合ったとき赤ちゃんだったオデマリスと、初めて会話らしい会話ができてすごく不思議な感じがした。「学校は楽しい?」とか「好きな科目は何?」とか、そんな他愛もないことだけど、ちゃんとぼくの言葉を理解して答えてくれるのが妙にうれしい。お母さんの腕に抱かれてぼくを珍しそうに眺めていたのはもう8年も前のことになるのだ。人懐っこい笑顔と大きな澄んだ目はその頃のままだ。

 「オデマリスみたいな小さな子とちゃんと話できるっていうのはあなたの語学力が高い証拠なんだよ」

 ふーん、そんな考え方もあるんだ。フロールのそんなほめ言葉はいつも少しくすぐったい。ニューヨークで子供たちとまともに話せるようになるまで1年以上掛かった苦労話をフロールはぼくに聞かせてくれた。大人なら外国人でも相手を何とか理解しようと努力するけど、子供はそんなことをしないから意思疎通が大変だ。しっかり発音しないと子供には通じないだろうし、逆に子供が話すときは早口で語尾がはっきりしないこともよくあるだろう。でも通じにくいはずの子供に言葉が通じたことより、オデマリスがぼくを友だちとして受け入れてくれたこと、そして恥ずかしがらずに話してくれたこと、それが1番うれしかったことだ。

 フロール、オデマリス、キオ、アチャ、そしてぼく。不思議な組み合わせだけどぼくら5人はテラノバのコーヒーを飲みながら、明るい午後のまぶしさの中でわいわいがやがや楽しんでいる。ぼくにとっては大学時代の親友フロールとの本当に小さな同窓会だ。

 「面白い話があるんだ」

 少しもったいぶってフロールが話し始めた。

 「私のお父さんとお母さんね、ちょっと前に結婚したの」

 「???」

 「ほら、カトリックの結婚って、教会がどうのこうのってややこしいじゃない。だからと言って書類だけで結婚してもメキシコではあまり意味もないでしょ。だからつい最近まで正式には結婚してなかったの」

 確かに結婚せずに子供もいて立派に家庭を築いている男女をぼくは他に1組知っている。でも何十年も経ってからあらためて結婚したという話は聞いたことがないし、第一フロールの両親が結婚していなかったというのも初耳だ。

 「38年たって子供がみんな大きくなって、それから結婚したんだよ。これってすごいことだよね」

 形式ばったことが大嫌いだった頑固なフロールのお父さんは、いろんな手続きが必要な形だけの結婚を拒んでいたという。でも子供たちがみんな独立してから改めて夫婦としての誓いを立てることを思い立ったのだ。教会だのキリストだのと宗教的な話はよく分からなかったしここではそれほど重要なことではないだろう。結局のところぼくに分かったのは、フロールの両親が一緒に住みだして38年後に自らの意志で正式に結婚する道を選んだということだ。

 フロールは家族や親戚の人たちと協力して大きなパーティーを開くため、試験直前にもかかわらずニューヨークからオアハカへ帰り、式が終わってからとんぼ返りで試験を受ける強行スケジュールを決行した。当日のお父さんは、すべての花婿がそうであるようにものすごく緊張していたし、たくさん集まった親戚や友だちはよろこんで料理や会場設営を手伝った。みんながその大きな、本当に大きなパーティーを楽しんでいた。もちろん9歳のオデマリスもそこにいた。出席者全員が2人を手放しで祝福し、フロールはマイクを通して感謝の気持を伝えた。「新郎新婦」の娘として、2人を支え続けた家族の1人として――。

 果たしてその「38年越しの結婚」が2人や家族にとってどうしても必要だったかと言えばそれは恐らく違うだろう。でも、だからこそきっと今さらながらの「結婚」に意味があったのだ。

 「お父さんね、結婚式が終わってから私に言ったの。本当に結婚して良かったって。フロール、本当に君のお母さんは生涯のパートナーなんだって」

 一緒になって38年後にそんな思いを口にできる人がいることにフロールは感動し、それが自分のお父さんであることを心から誇りに思っていた。そしてぼくもその話を聞いて感動したし、それがぼくの親友のお父さんだということを誇りに思う。この国は濃厚なラブシーンがいたるところで繰り広げられる熱愛の国だけど、時としてこんなシンと静かで、それでいてどっしりと力強い夫婦と家族の「愛」の話もいい。

 パラソルの下でエスプレッソをすすり、石畳の道を歩く鳩を眺めた。きっと子供が食べているポップコーンのおこぼれを丁寧に拾っているんだろう。空はやっぱり鮮やかな青をしていて高く抜けるようだ。そんな穏やかな昼下がりに、ぼくはフロールとオデマリスからやさしい時間を分けてもらい、ちょっぴり満たされたような気分になれたのだ。

  


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