第20話 「6年ぶりの色男が経験したこと」

屋外のカフェは夜になるといつも満席で、時々現れるマリアッチのミュージシャンがお気に入りの歌を歌ってくれる。

 アルトゥーロとは大学で知り合ったというより、「大学の前」で知り合ったという方が正しい。母親が駄菓子屋も兼ねた小さな喫茶店を大学前でやっていて、休み時間にそこでサンドイッチやオレンジジュースを買っているうちに顔なじみになったのだ。背が高く女にもてそうな甘いマスクをしていたし、実際人気があったのをぼくはよく知っている。本人はと言えば、かわいい女の子を見ると声を掛けずにいられない、ありがちなメキシコ風女たらしだ。弟はディスコでDJとして働いているしヘアスタイルや服にも気を使っていて、当時20歳前後だった兄弟は恐らく留学生も含めた多くの女性の目を惹きつけていたに違いない。

 フロールと別れ、グスマン家で夕食を取ったぼくは8時にアルトゥーロとソカロで待ち合わせをしていた。彼は夏の夜、一緒に酒を飲むのに最も適した相手だ。どんなに遅くなっても、たとえ朝までだって付き合ってくれるだろうし、まじめな話もくだらない話も一生尽きることがない。

 ぼくは大学に通っていた当時、休み時間になるとアルトゥーロが専攻する英語コースの学生たちに交じって話をした。学生とは言っても働きながら勉強する人が多くいて、年齢層が幅広くそれぞれが個性にあふれていた。そこにいるだけで刺激的だったのだ。いつもその中心にいたアルトゥーロはダジャレ攻勢で冗談の好きなぼくの腹筋を引きつらせた。クラスメートひとりひとりには「シロアリ」とか「ミミズ」とニックネームがついていて、お互いを半分バカにしながら、もう半分は愛情を込めて呼び合っていた。目が大きくて円いアルトゥーロ「ハゲワシの目」などと呼ばれていた。

 彼はぼくにとって悪友気味の遊び友だちだったのだろう。昼間しか営業しない女人禁制のバーで倒れるまで一緒に飲んだのは、ぼくの記憶にある最も楽しかった飲み会の1つだ。さんざんビールを飲んだ後、最後にテキーラショットとトマトジュースが出てきたのには驚いたが。ぼくが住んでいたアパートに彼を招いたときもビールの空き缶で大きなピラミッドができるまで飲み続けたし、一緒に遊びに行くときは必ず酒がからんでいた。

 あの頃の彼はふらふらとどこかあぶなっかしい空気をいつも漂わせていた。エネルギーにみなぎっていた。よく冗談を言った。いつも憎めない笑顔で笑った。引き締まった身体をジムで鍛え上げた。美人の恋人がいるにもかかわらず、かわいい子がいると「あの子いいよね」とぼくに耳打ちした。6年ぶりに会うこの色男とまたあの頃のように酒を飲み、いろんな話をしたくて仕方ないのだ。

 オアハカ到着2日目の夜、オレンジ色の街灯がやわらかく光るソカロの一角ではマリアッチのバンドが演奏を開始したところだ。出店が細々と灯るライトを頼りに、風船やお菓子やアクセサリーやTシャツを売っている。待ち合わせの場所ではマリアッチを聞こうと人だかりができてしまった。こんなところで会えるのだろうか、だいたいアイツは時間に無頓着だからな、でもぼくは東洋人の顔をしているから間違いなく見つかるだろう。そんなことを考えながら背の高い男の姿を余り期待せずに探した。一般的にメキシコでの待ち合わせは来なければ来ないで仕方ない、あきらめようという覚悟が必要なのだ。

 演奏を聞く人垣の中にいないか? 音の鳴る方へ顔をのぞかせた瞬間、背後から大きな男がやってくるのに気付いた。ぼくは時間にルーズだと思っていたアルトゥーロがぴったりの時間に来たので逆に拍子抜けした。久しぶりに会った彼は少し頬が太り、もう以前のような精悍な表情を失っていた。そして銀縁の眼鏡を掛けている。でも逆に落ち着いた、親しみやすい雰囲気を持っていた。

 「オレはデブデブ、お前はガリガリじゃないか」

 ニカーッと笑いながら「デブデブ」、「ガリガリ」の部分だけ怪しい日本語だ。開口一番のとぼけた言葉にぼくは力が抜けてしまう。その変な日本語を教えたのが自分であることを彼に言われるまでぼくは忘れてしまっていた。そう言えばアルトゥーロにいろんな日本語を教え、かわりにスペイン語のいろんな言い回しを習った。その多くは実際には使うことがなかった悪い言葉だったけれど。

 ぼくらが選んだ店デル・ハルディンは、夜8時ともなればやっぱり座れる席はなかった。テラノバとはソカロをはさんで反対側にあるこのカフェは、昼間はそんなでもないのに夜になると他のどの店よりも絶対的に繁盛する。それはぼくが学生だった頃も今も同じだ。外の席は恐らく2割ぐらいの外国人と残り8割ぐらいのメキシコ人で埋め尽くされていて、ぼくら2人は仕方なく屋内の席で再会に乾杯することにした。

 いろんなバーで顔が利くアルトゥーロは黒い服を着たバーテンのおじさんとも顔見知りで、カウンターの1番奥の高いスツールに腰を掛けると、まるで長い付き合いの友だちのようにあいさつを交わし、それからビールを頼んだ。以前毎晩のようにここに飲みに来ていた時期があったのだという。ぼくは「ミチャラダ」というビールベースのカクテルを頼んだ。唐辛子とたっぷりのレモンが入ったグラスに自分でビールを注ぐ。この店に来ると必ずぼくはお気に入りのこのカクテルを頼んだ。そして今も変わらず本当にすっぱくて辛い。アルトゥーロは屋外の席が空いたらすぐ教えてくれとバーテンに告げた。

 「そうか、ダイヤモンドのバイヤーか。面白そうだね。オレはとうとう自分の店を構えたよ。端末が10台ほどしかない小さなインターネット・カフェだけどね」

 そう言って灰色の名刺を彼は取り出した。ぼくが学生だった頃インターネットという言葉さえ聞いたことがなかったし、オアハカで大学以外にパソコンのある風景は想像がつかなかった。でも彼はこの街でインターネットカフェ「CINET」を経営している。あの大学の前の家を改築して作った店だ。300万円ほどの金を投入してサーバーとパソコンを購入し、残りを工事費にあてた。街のいろんなところで宣伝のビラを配って客を集めた。コンピューターに精通した男を雇い、必死に知識を吸収した・・・。話だけ聞いていると、まったくこの男のやることはいつも思い切りがよくてカッコいい――そう思ってしまいがちだが、実はぼくの知らない6年間でいろんな体験や苦労をしていたのだ。

 「オレってどうしようもないバカだったよね。外国人の女の子たちと酒飲みまくって、それで車に乗ってぶっ飛ばしたんだ。でもカーブを曲がりきれずに家に突っ込んで、その小さな家、突き破って・・・」

 彼が衝突した家はそれほど建てつけの良い家ではなく、かなり大きな損害を与えてしまったのだ。過失を問われてしばらく刑務所にも入れられた。弁償の額はとうてい彼の払える金ではなく、結局おじいさんがその大半を持ってくれた。英語専攻の学生たちもカンパをした。

 それだけではない。メホール・アミーゴ、つまり1番の親友が同い年なのに若くして死んでしまった。メキシコでメホール・アミーゴはただ1人の何にもかえられない友だちのことだ。そいつが若くして死んだ――。弟が立ち上げたディスコは客の入りが悪く倒産した。そして大学時代から仲の良かった友人――ぼくはその男とも仲が良かった――が、彼の店にやってきて、真剣に愛を告白した。英語コース時代から友人だったはずの2人の男はそれ以来ほとんど口をきかなくなってしまった。

 いろんなことがあったんだね、アルトゥーロ。そんなに短い間にそれだけの辛い体験をする人も少ないよ。でも、そう言うぼくに彼はこう答えた。

 「いろんな経験するのはみんな同じだよ。オレみたいなやつはこうやって人生を学んでいくしかないのさ。みんなそれぞれが違う経験しながら年を重ねていくんだよ」

 酒もほとんど飲まなくなったし、踊りにも行かなくなった。女にももう声を掛けない。1日中カフェの店番をしている。大学生を中心に外国人もよく利用するようになって、店はやっと軌道に乗り始めた。でもその分時間がなくて3年前に結婚した奥さんともあまり会話がない。こんな一連の身の上話を彼はときにまじめに、ときに相変わらずの冗談交じりで話し続けた。たくさんの失ったもの、そして手に入れたもの。彼にとって久しぶりとなるアルコールをあおりながら、ぼくらは一生懸命話し続けた。一体ぼくらは、今夜いつまで話し続ければ気が済むんだろう?

 「英語専攻してたやつらはみんな英語の先生になったんだよ。でもオレはみんなに会ったらいつも言うんだ、自分の専門分野から飛び出してみないと分からないこともあるんだってね」

 彼はいろんな苦い経験を乗り越えて店の経営を続けている。そして今の自分に納得している。ぼくは今の自分に納得できているんだろうか?

 やっと外の席が空いたようだ。ぼくらはそれぞれのグラスとボトルを手に持ったまま屋外のテーブルに移った。外は涼しく乾燥して、酒を飲むには快適だ。この旅でこんなにゆっくりできる夜はこれで最後となるはずだ。明日の夜はやっぱりグスマン家の家族とゆっくり過ごしたいし、パッキングも残っている。ぼくがアルトゥーロと待ち合わせしている間に買い物に行ったキオとアチャは、そろそろ家でぼくからの電話を待っているはずだ。アルトゥーロともっと話をしたいとぼくは心から願い、キオとアチャをこの4人掛けテーブルに招いた。

 マリンバの演奏が始まり、温くてやわらかい木の音、マイナーのメロディーがざわめきの向こう側で鳴る。込み合ったこのカフェの客たちはそれぞれのテーブルで懸命に話し続け、男たちの声は低く地上を這い、女たちの笑い声は空気を華やかにする。外にいるのにこの空間だけはねっとりとした熱気を帯びているようだ。ぼくらは話し続けた喉の渇きをビールで何度も潤した。どう考えても、夜はこれからだ――。

  


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