第24話 「ミシュテコ族の長袖シャツ」

ソカロの南側に面した州庁舎の壁画。
北側にカテドラルがある。

 とうとうオアハカ最後の夜を過ごしている。たった3日間過ごしただけなのに、ぼくは完全に日本の時間から一時的に切り離され、どっぷりとここの空気に浸かっていた。例えば通りを歩いているときに、ふと日本の自宅周辺の風景を思い出すことがあった。だけど日本での日常はあまりにもこの町から遠く、まるで異次元のことのように現実離れしていた。東京の近郊で働く自分の姿をうまく頭に描けないでいる。朝の通勤ラッシュ、ネクタイやスーツ、そんなすべてがここからはあまりにも遠い。人々の息遣いや歩幅がまるで違うのだ。このままこの町で生活を再開したとしても、それをぼくはごく自然に受け入れることになるだろう。

 オハラタの生産地ホホコトランから戻ると、ぼくは少し眠ることにした。夕方だというのに寝室は暗く、朝から直射日光の中で動き回った体の疲れを癒すにはもってこいだ。アチャも眠っている。モンテアルバンに行かなかったキオだけが元気でグスマン家の孫娘たちと遊んでいる。まだ小学校に上がる前のマーフェルとサラはたくさんのバービー人形を持っていて、そのいくつかにぼくやキオの名前を付けている。たぶん家族のみんなが口にする名前を自然に覚えたのだろう。3日いるだけで、2人はぼくらにすごくなついてくれた。

 夜になってぼくらはソカロ近くのポソレ屋まで食べに行くことにした。オアハカの郷土料理でもないのに、ぼくは到着した朝から夫人に好物のポソレで迎えられた。そしてぼくらはまたポソレを食べることでこの町にしばらくの別れを告げるのだ。インデペンデンシア通り沿いにあるこの店は学生時代のいきつけの店で、今夜もまた当時と同じようにポソレとバニラシェイクを注文している。コクのあるスープに甘くて冷たいシェイクは見事なほどよく合う。背が低くて太目のおじさんは、ぼくらのことをしっかり覚えていてくれて、ちゃんと声を掛けてくれた。そう言えば金のネックレスが増えているよ、おじさん。

 奥へ向かって細長い店内では、ポソレをむさぼる家族やカップルが目に付く。文字通り夢中になって食べている客たちは、東洋人のぼくらが入ってきても見向きもしない。だから、この店はその味のおかげでぼくらにとって入りやすい場所になっている。狭い店内のテーブルでぼくらは他の客と同じように、このとうもろこしスープをむさぼった。揚げたトルティージャ、レモン、ラディッシュ、すべてがよく調和して、豚の頬肉やとうもろこしの味を引き立てている。やっぱりぼくは「このスープが日本で食べられればなあ」と思い、忙しくスプーンを口に運び続ける。

 笑うと店主のおじさんの目はものすごく細くなる。そんな彼に挨拶してから、小さくてよく繁盛するこの店を出たぼくらは、郵便局前にずらっと並んだ露店を見つけ足を止めた。布のシートを路面に広げ、その上に並べられた服やアクセサリーは、ほとんどが見たことのある懐かしいものばかりだった。土曜日の夜にだけ現れるこの露天商たちは鮮やかな赤の民族衣装を身にまとった女性、ジーンズとTシャツ姿の素朴な男、そして子供たち。その風貌からすぐにミシュテコ族の人たちだと分かる。恐らく同じ村からバスかトラックで長い道のりを市内までやってきたのだ。

 彼らが仲間の間で話すとき、ぼくらにはその言葉をまったく理解することができない。彼らの母語はミシュテコ語なのだ。スペイン語に耳が慣れていると、「シュ」とか「シャ」と空気を摩擦させる音を多用するこの言葉がものすごく異様に響いてくる。音は中国語に近いんじゃないかとぼくは勝手に分析する。彼らにとってスペイン語はあくまでも公用語であり、扱いにくい第2の言語でしかない。彼らの片言のスペイン語がところどころでつっかえているように聞こえるのは、ミシュテコ語が「ッ」を音と音の間に入れる促音便を多く使う言葉で、そのなまりが強く出ているのだと後から知った。

 オアハカ州には最も人口の多いサポテコ族の他にも、このような先住民族が無数に存在する。目の前の露天商はミシュテコ族の人たちだが、オアハカでミシュテコ語を話す人口は20万人以上いると言われている。ぼくが学生の頃グスマン家でメイドとして働いていたアメリアという女の子はミヘ族出身で、住み込みで働きながらその見返りに学校へ行かせてもらうという援助を受けていた。そうすることでしかスペイン語教育を受ける機会はめぐってこないだろうし、アメリアはそれを知ってか知らずか、一日の仕事が終わってから夜中に一生懸命勉強していた。ときにぼくらは話しこんで、バスで5時間、さらに山道を歩いて8時間かかる彼女の村の話を聞かせてもらったりした。

 郵便局前に店開きしているミシュテコ族の人たちは、まったく商売には向いていないようにぼくは思う。売り手である女性のほとんどが、ぶすっとした顔で座っているだけで、メキシコでは当たり前のはずの価格交渉にもほとんど応じない。でも手製の服は非常にしっかりと作られていて、欲しいものばかりだ。あまり自分用に買い物していなかったので、いくつかシャツやジャケットを選りすぐって買うことにした。すでにトランクはいっぱいになりつつあるから、慎重に選ばないと入らなくなってしまう。

 ずらっと並んだ中の一番端にいたおじさんの店でぼくは長袖のシャツを買った。丁寧に折りたたまれて並べられたシャツの中でぼくが選んだのは、オフホワイトの開襟シャツで、帰りの飛行機の中で着られるようにと買うことにしたのだ。おじさんが言った値段は35ペソ(日本円で420円)だったので、ぼくは50ペソ札を出しておつりをもらうことにした。だけど返ってきたのは25ペソだった。10ペソ多いのでおかしいなと思ったけれど、自分が値段を聞き間違ったのかとあまり気にせずにその場を離れた。そのおじさんは「ありがとう、ありがとう」とうれしそうな顔をしていたのだし、気にすることはない。

 でもぼくはしばらくしてから、自己嫌悪に陥ることになる。その経緯はこうだ。

 たくさん並んだ露店をゆっくり見て回り、ぼくはおばあさんのところで少しばかりアクセサリーを買うことにした。天然の石を少し使用した細いネックレスをお土産に数本選ぶ。おばあさんはあまりスペイン語が話せないが、何とかぼくらは意思疎通することができた。お金を払う段になってから、おばあさんはおもむろに後ろの石段に座っていた男の子にミシュテコ語で話し掛けた。その小学生ぐらいの男の子はどうも彼女の孫のようだ。彼は素早く暗算してぼくに合計金額を言う。おばあさんは計算ができないのだ。

 だとすれば、さっきつり銭を間違えたおじさんも、このおばあさんと同じで引き算さえ十分にこなすことができないのかも知れない。彼が余分に渡した10ペソをぼくは黙って受け取った。でもそれは教育を十分に受けられなかったおじさんが、苦労して稼いだはずの小さなもうけの一部だったはずだ。こんなところでぼくは先住民文化とスペイン人が持ち込んだ文化が複雑に絡み合った混血社会のひずみを目の当たりにしてやるせない気持になる。スペイン語、ミシュテコ語、教育、算数、手作りのシャツ、そしてつり銭・・・。

 ぼくらが念入りに端から端まで店を見て回っているうちに、露天商たちはぼつぼつと店じまいを始めた。オアハカ最後の夜は更けようとしているのだ。疲れた顔が、次々に並べられた服やカバンを引き上げていく。大きな風呂敷に詰め込まれた商品を背負って、彼らはバスで何時間揺られて帰っていくのだろう?ぼくらもそれに合わせるようにして最後の買い物を切り上げて家路についた。はたして今夜買ったシャツやポンチョは、ちゃんとそれぞれのトランクに収まるのだろうか?

  


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