第25話 「絶対に24時間営業ですか?」

グスマン家の入口、車を出すたびに大きな扉を開く。

 「ねえ、みんなで写真撮ろうよ」

 「いいよ、みんなそろってるからね」

 ぼくはオアハカを出発する日曜の朝、ダイニングでお別れを言いに集まってくれた家族に、照れくさいけど記念写真の撮影をせがんだ。今さら写真なんてと思われても、ぼくはオアハカでの3日と半日を大切に心にしまっておきたかったのだ。

 「ほらほら、サラ、マーフェル、カメラの方向いて」

 オスカルがカメラを構えた。ぼくらが持ってきたデジタルカメラは、撮ってすぐ画像を見られるから便利だと人気がある。使い古されたゴージャスなソファーが並ぶリビングでせいぞろいし、フラッシュは光った――。

 オアハカには予定より1日遅れで到着したが、ロサンジェルスでの決定的な遅れは果たして取り返せただろうか。答えはこの旅が終わってしばらくすればおのずと出るはずだ。ただ、ここまでは、「順調に取り返している」と言える。たくさんの素敵な再会と新しい出会いがあった。完成度の限りなく高い民芸品を手に入れることができたし、おいしい料理にもありつけた。たぶんこの短い時間で手に入れられるだけのすべてのものを、ぼくは手に入れたのだと思う。体を酷使するという代償がつきまとったにしても。

 ひとりひとりと言葉を交わしながら抱き合うのはすごく西洋的な習慣だ。でもメキシコにいるとぼくはそんな大げさな抱擁さえ自然に受け入れてしまう。劇的な別れ?そんなもの、始めからない。ぼくはいつものようにちょっと日本に行ってくるね、また気が向いたら飛んでくるから、そうつぶやくだけだ。グスマン夫人、ぺぺ、オスカル、ラウル、イルマ、ココ、ルー、マーフェル、サラに・・・。そしてグスマン家のみんなも「またしばらく留守にするんだね、気をつけて」というふうにぼくらを見送った。その様があっさりしているからこそ、いつでもふらっと帰ってこられそうな気がする。

 オスカルがぼくらの大きなスーツケースを車に担ぎ入れて空港まで送ってくれた。マリブはぼくとキオとアチャ、そして3つの大きなスーツケースを載せて、それでも宙に浮いているみたいに滑らかに走る。何度も出たり入ったりしたこの町の中心部を離れ、あっという間に空港に着いた。これでしばらくオアハカともお別れだというのに、あまりにあっけなくてぼくは拍子抜けする。オスカルは荷物を降ろしながら「すぐ帰ってこいよ」と言い、それにぼくはやっぱり「うん、わかってる」とあらかじめ用意しておいた返事をするのだ。本当にすぐ戻ってきそうな気がする。

 オアハカからメキシコシティーへ逆戻りするフライトでは、これからのスケジュールと翌日の帰国のことで頭がいっぱいだ。空港を出ればキオとアチャにひとまず別れを告げ、天使の塔がそびえ立つ街の中心部で、この旅を思い切るきっかけを作ってくれたレイコさんとその婚約者チェケに会いに行く。グアナファト州で働くチェケはメキシコシティーに住むレイコさんに週末だけ会いに来ている。半日しかいられないけれど、ぼくにとってはすごく大事な時間だ。そして明日の夜明け前にはぼくはこの国を去るために再度空港へ戻らなくてはならない。キオとアチャはといえば銀を仕入れにゲレロ州のタスコという町へ向かう。ぼくもできればあのメルヘンチックな街並みをもう一度見てみたいけど、あいにく帰国翌日から仕事が待ち構えているからそうもいかない。こうしてこのメヒカーナ航空がメキシコシティーに降りたてば、ぼく、キオ、アチャの3人組はひとまず解散する。

 大都市のど真ん中にマンションを買ったレイコさんと、日系企業でエンジニア兼通訳として働くチェケは、別々にオアハカで知り合った古くからの友人だ。まさか2人が本当に結婚することになるとは。ちなみにチェケはぼくらをサン・マルティンまで案内してくれたガブリエルの弟でぼくの大親友だ。日本で就職する前にチェケを日本に連れて帰り、1ヶ月ほど大学近くのアパートで一緒に暮らした。ぼくがアルバイトしていたカフェバーでは、日本語もろくに分からない彼を雇ってもらったし、奈良の実家まで「青春18きっぷ」を使って鈍行を乗り継いだりした。ぼくが24、チェケが19のときにいろんなことを一緒に経験した。お金はなかったけど楽しくて仕方なかった。あのとき以来の再会だ。

 レイコさんとは今年の春に新宿で食事している。そのときぼくらはメキシコで合うことを約束したのだ。彼女とはこれまで何度となく東京とメキシコで会っているが、きっと今回もいつものように「こんなところで何してんの?」と、変な挨拶を交わすのだ。そして翌朝のフライトに備え、一晩家に泊めてもらうことになっている。初めてお邪魔する彼女の「持ち家」は一体どんなところなんだろう。

 昼も1時を過ぎ、フライトは少し遅れてメキシコシティーに着いた。ぼくらはそれぞれにお土産や服でぱんぱんに膨らんだスーツケースを携えている。だけど、こんな大きな荷物をたった半日だけしかいないメキシコシティーに持ち出したくなんかないし、タスコ行きの2人もバスや地下鉄を乗り継ぐのに何かと足手まといだろう。その上この空港は帰国の際に必ず戻ってくるから、そのときまでここに荷物を置いておくのが得策だ。だからぼくらは必要最小限のものだけを取り出してスーツケースを空港のロッカーに突っ込むことにした。あまりにも都合よくコインロッカーが見つかったのだ。というよりもロッカーの方からぼくらを探してわざわざ現れてくれたと言う方が正しいかも知れない。その上24時間営業だからいくら朝が早くても荷物を取り出せる。

 狭いスペースで店番をするおじさんに「24時間絶対開いてるよね」と確認してからぼくらはスーツケースを開いた。ぼくがあんまりしつこくきくもんだから、おじさんは親切にぼくらを安心させるような言葉を選んだ。

 「夜まで私が店番することになっていて、夜中の12時からは別の者がいることになっていますから。とにかく絶対に24時間閉まることはないですよ」

 ぼくは明日の朝5時過ぎにはここから荷物を取り出し、デルタ航空のフライトにチェックインしなくてはならない。そんな慌しい朝に、万が一「7時から営業します」なんて札が掛かっていたら目も当てられない。だからしつこく念を押したのだけれど、この眼鏡のおじさんはどうやら信用して良さそうだ。

 そうと分かればぼくらは、急いで身支度をしなくてはならない。キオとアチャはタスコまでの5時間ほどの道のりを日が暮れるまでに何とか終えたい。ぼくはチェケがグアナファトに帰る夕方までできるだけ一緒の時間を過ごしたい。それぞれの必須アイテムだけを取り出しリュックに詰め込む様は鬼気迫るものがあったかも知れない。貴重品のたぐいや目覚し時計、カメラに下着。小さな部屋で座っているだけのおじさんは、新聞を読む以外に取り立ててすることがないのだろう、慌しく地べたで荷物整理をするぼくら3人を珍しそうにながめていた。

 料金を支払ってもう一度24時間営業だよねとおじさんに念を押し、ぼくらは通路に出た。近くの公衆電話でテレホンカードを突っ込んで、チェケの携帯電話に電話を入れてみる。とにかくやっと会えると思うと、いてもたってもいられなくなる。

 「着いたー? 今どこにいるんだよ? 何、まだ空港にいる? 遅いよ、早くタクシーに乗ってこっち来て!」

 チェケはぼくがそろそろ着くはずだとマンションの入り口で待っていたのだという。ぼくは荷物を詰めなおしていたとか、フライトが少し遅れたとか適当に言い訳をして、電話を切った。今すぐ行くから――。キオとアチャはこのまま地下鉄に乗ってバスターミナルを目指す。そしてぼくはレイコさんの家に向かうべく、空港タクシーに乗る。

 とうとうキオとアチャの女2人旅グループと別れるときが来た。タクシーのチケット売り場前でぼくらは「じゃあね」と手を振った。ぼくとキオは日本で5日後に自宅で会う。アチャとは今度いつ会えるかよく分からない。でもたぶんキオの実家なんかでまた会うんだろう。後で知ったのだが、アチャはぼくら夫婦があんまりあっさりメキシコという「見知らぬ国」のど真ん中で二手に別れるから可笑しくて仕方なかったという。普通だったらお互いの目的地までの行き方を確認し合ったり、忘れ物がないかチェックしてもっと不安そうに別れるもんじゃないの? というふうだ。でもそういう意味でぼくには何の心配もなかったし、ただキオが何日に日本に帰るかさえ確かめれば十分だ。ここは決して「見知らぬ国」なんかではなくぼくらの「行動範囲」の一部なのだから。

 ぼくはシティーの中心部までタクシーのチケットを買い、すたすたと歩き去るキオとアチャの後ろ姿を見送った。タクシー乗り場ではほとんど待つこともなく黄色いタクシーが停車した。黄色いセダンのドアには黒い飛行機のマークが描かれていて、空港の公認タクシーだということを示している。ぼくはこの車に乗って市内へと走り、キオとアチャは地下鉄を乗り継いでバスターミナルへ移動する。一時解散するぼくら3人組は、それぞれに残された時間を最大限楽しむため、今、ほんの少し違う方角を目指している。

  


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