第27話 「運命の出会い」

道ばたで新聞を売る少年。

 タクシーを降りて、ぼくの気持ちは思ったとおり落ち着かなかった。すぐそこにいるはずの2人のところへ早く行きたくて仕方ないのだ。チェケはオアハカで知り合った中でも、間違いなくぼくの大親友だが、6年間も会えなかった。エレベーターでマンションを5階まで上がると廊下の右奥にレイコさんの家があり、ぼくは木のボードにひらがなで書かれた彼女の名前を見つけて迷わずブザーを鳴らした。

「おそいよーー!!」

 2人はそう言ってぼくを迎え入れた。部屋は土足厳禁になっていて、ぼくも当然のように「お邪魔します」などと日本式につぶやきながら靴を脱ぎ、チェケとがっしり抱き合った。(レイコさんとぼくはメキシコでもちゃんと「日本人同士」をしているので、ぼくらは握手もしないんだけど。)本当にそこにはチェケがいた。週末を利用してバスでグアナファト州のレオンという街からやって来たのだ。今回は会えないだろうとレイコさんから言われていただけに、お互いの予定がうまくかみ合ったのはこの旅で最高のプレゼントだ。チェケと会えることが分かったのは、昨晩のことで、レイコさんに到着する時間を連絡しようとオアハカから電話したとき、驚いたことにチェケが出たのだ。たぶん、ぼくからの電話だと知ってレイコさんが受話器を取らせたんだろう。

 チェケはどんなことにも精魂を込めて取り組むタイプの男だ。例えば高校生の頃の彼は、超高速ラップミュージックに合わせて踊るのに夢中で、ダンスコンテストに出場するほどの熱の入れようだった。ダンスフロアーでスポットライトを浴びながら、彼の腕や脚や上体や首は超高速でカクカクと動きつづけた。運動だけでなく勉強も好きな彼は、ぼくが留学期間を終えオアハカを去った後、大学で工学部を主席で卒業、大学院の授業料免除と奨学金を勝ち取った。レイコさんと付き合い始めて、日本語もしっかりと身につけた。オアハカを離れ、レオンに工場を持つ日系企業に就職し、現在は通訳兼エンジニアとして忙しく働いている。そしてレイコさんと12月に結婚する彼は、年下なのにぼくにとってまるでヒーローのような存在だ。

 ソファーに座って、ぼくらは冷えたコロナで乾杯をした。2人の婚約を冷やかしたりしながら、国際結婚の苦労や楽しみを聞いた。でもどう考えても2人にとって楽しいことのほう断然多いみたいだ。話しているとチェケの太い眉と笑ったときにできる鼻の頭の皺、少しかすれた声と早口な話し方で、ぼくはよく一緒に飲みに行ったときのことを思い出した。ぼくらはソカロのオープンエアのカフェでビールを飲んだり、「イポテシス」(仮説)と言う不思議な名前のついた2階建てのバーにせっせと通ったりした。当時17歳だった彼は、「母さんにばれたらまずい」と口では言いながらも結構な量のビールを胃に流し込んでいた。ちなみにメキシコで飲酒は17歳から合法だ。

 冷蔵庫から出されたコロナの瓶はあっという間に空になり、せっかくだからぼくらは街中へ繰り出すことにする。何せぼくがメキシコシティーにいられるのはあと半日だけだ。それまでに少しでもこの国の空気の中でおいしい料理を食べたい。ぼくのリクエストでタコスの食べられる近くのレストランまでレイコさんが車を走らせた。ペーパードライバーだったはずのレイコさんは、知らない間に車を購入し、メキシコシティーで道に何度も迷いながらどうにか車で出勤できるようになっていた。

 店の近くの路地裏に停車し、キーを抜いた彼女は、何やら鉄の塊のようなものを取り出した。ぼくにはものものしいそれが何か最初分からなかったが、実はハンドルロックだった。「こうしておかないと盗まれるからね」、あっけらかんと言う彼女の表情には暗さがまったくない。自分の物は自分で守る。ある程度の危険を感じながらでないと、この世界有数の大都市では暮らすことができないのだ。

 メキシコシティーに到着してからずっと曇っていた空からとうとう雨がぱらつき出し、ぼくらはレンガ造りの建物にできるだけ寄り添うように店まで走った。コンクリートが雨色に染まっていくときのむっとした匂いは日本と同じだ。ほぼ満席の店の入り口ではタコス・アル・パストール用の串刺し肉がゆっくりと火にあぶられている。その前でしばらく待ってから、一番奥の6人掛けソファー席に落ち着くことができた。そしてやっぱり再会を祝い、思い出話に花を咲かせるべく、ぼくはネグラ・モデロという黒ビールを選び、タコスを次から次へとオーダーした。

 「ねえ、おぼえてる? 一緒にアルバイトしたときにマスターが店に来られなくて、いろいろ用事頼まれて店空けたでしょ。となりのコンビニでファックス受け取ったり。オレあの時ものすごく緊張してたんだよ、ひとりで店に残されて。全然日本語話せなかったのに、お客が来たらどうしようって」

 実はチェケは半年ほど日本に住んでいたことがある。そのうちの数ヶ月はぼくと一緒にアパートに住んでいた。チェケにはお金がまったくなかったし、学生だったぼくにも彼を養う力なんかない。今考えたらチェケを日本に招いておいてまったく金がないなんて、むちゃなことをしたと思う。だからぼくらはできるだけアルバイトをして何とか自力で稼ぐようにした。当時ぼくが働いていたカフェバーでチェケはウェイター、ぼくは厨房の仕事をした。店のオーナーは彼が働くのを快諾してくれて、日本語もままならないチェケを雇ってくれたのだ。

 店の切り盛りをある程度任されていたぼくは、ドリンクや料理を用意してチェケに席まで運んでもらうことにした。カウンターの中から皿を手渡し、「あのテーブルに持っていって」とスペイン語で指示を出す。オーダーを取るときは、「とにかく言われたとおり暗記して、こっちへ帰ってきてオウムみたいに繰り返してくれ」と少々無理な要求もした。もちろんメニューを2人で予習してからのことだけれど、これは彼にとって結構きつかったんだと思う。

 「鈍行で東京から奈良まで行ったよね。おじいちゃんがいろんなことを知っていて驚かされたよ」

 ぼくの実家の奈良をどうしても見せてあげたくて、ぼくらは「青春18きっぷ」で10時間以上かけて帰省したのだ。チェケは当時のとても細かい出来事までしっかり覚えていて、タコスが並んだ広いテーブルの上に次々とそんな記憶の断片を拾い上げた。ぼくが気にもとめなかった些細なことでさえ、彼にとっては強烈なインパクトを持っていたことをあらためて知らされる。初めて訪れた日本で、見るものや起こることのすべてを脳裏に鮮やかに焼き付けていったのだ。

 そんな流れでる思い出が少し途切れるたびに、チェケはビールのボトルを口に運んでからにっこり白い歯を見せ、満足気に得意の口癖を繰り返した。

 アシ・エス――そういうことさ。

 明るくて広いフロアーは日曜の午後を過ごす家族連れ、恋人たちや友だち同士がおしゃべりに夢中で活気があふれている。ウェイターは若くて(と言うより高校生のように見える)少しぎこちない印象を与えるが、彼は彼なりにオーダーを早口で繰り返し、空いた皿を手早く下げ、何とかしてそつなく仕事をこなそうとしていて好感が持てる。ぼくらはチェケが住むレオン行きのバスに乗る5時まで、ずっと話し込んだ。いくら話しても話し足りないのは分かっている。でも人にはそれぞれに行かなくてはならない場所があって、与えられた時間の中でなんとか手を打ちながら生きているのだ。ぼくも明日の朝にはこの国を去らなくてはならない。

 雨はいつの間にか止んでいた。ぼくらは再度車に乗り込んでチェケをバスターミナルまで見送った。車を降りたチェケは、運転席のレイコさんと「じゃあ、電話でね」と挨拶をした。後部座席に座っていたぼくも彼に続いて車を降り、昔よくやったようにお互いの手を顔の高さでパシリと合わせてから、もう一度ベルトの位置で握リ直すお決まりの挨拶をした。そしてチェケは「絶対12月の式で会おう」とぼくに念を押した。いくら行けないと説明してもお構いなしに、何度も「12月待ってるから」と言い続けた。まるで出席するのがぼくの課せられた義務であるかのように。オアハカで行われる2人の結婚式に、できることならぼくも参加したいけれど、そう簡単にこの国まで飛んでこられないのがぼくの抱える現実だ。

 2人は昔のことなので覚えていないかも知れないが、実は2人の出会いには8年前のぼくが少なからず関わっている。1992年、オアハカに住み始めたぼくは、まもなくしてチェケのお兄さんのガブリエルにガイドの仕事を通して知り合った。そしてその数ヶ月後まったく別のところ、つまり大学でレイコさんに知り合った。そしてそのまた数ヵ月後、ぼくがガブリエルとその家族にレイコさんを紹介していなかったら、2人の運命の出会いは起こらなかったことになる。いろんな偶然が重なって、12月にとうとう2人は結婚するが、ぼくはそんな成り行きのほんの端くれにでも関われたことを光栄に思い、結婚式当日遠い日本という場所で2人をこっそり祝福しているに違いない。

 チェケはリュックを背負ってターミナル脇の大きな駐車場の方へ歩き出した。ぼくはその姿を車の助手席から見送り、ほんの数時間でも再会できたことにすっかり満足していた。そしてまたぼくらはそれぞれの場所でそれぞれの時間をこつこつと刻んでいくのだ。いつかもう一度その「場所」と「時間」が重なるのを心待ちにして。

 ぼくは彼の口癖をそっと真似てみる。

 アシ・エス、チェケ――そういうことさ、チェケ。

  


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