第28話 「ソナ・ロッサ」

ソカロで新聞を読むおじさん。テンプロ・マヨール前で。

 メキシコシティーの中心部にソナ・ロッサは位置する。いわゆる高級繁華街で、街のシンボルタワーの独立記念塔からすぐだ。歩行者だけのための道が続き、緑の植え込みが石畳に点在するこの一帯は、街で1番おしゃれな場所として知られている。道の両脇には高級レストランやブティックが並び、外へ張り出したオープンテラスでコーヒーやビールを飲む客が道行く人を眺めながら日曜日の午後を過ごしている。フランス料理やスペイン料理を出す店、それにただのカフェなどが混在し、身なりの良い客たちは平均よりはるかに裕福な層の人たちだ。

 「できれば最後にお土産を買いたい」とわがままを言うぼくを、レイコさんはこのソナ・ロサに連れてきてくれた。車をレフォルマ通りの脇に留め、民芸品を扱う大きな専門店まで歩いた。でも着いてみると目あての店は残念ながら頑丈に扉を閉ざしていた。日曜日は営業していないのを知って、レイコさんはものすごく申し訳なさそうな顔をした。でもぼくにとってそれはもうそんなに重要なことではなくなっていた。オアハカでは十分民芸品のお土産を買うことができたし、スーツケースにはスペースがほとんどなくなっていた。だからもしかさばらなくて、見ているだけで楽しくなるような、そんな小物を見つけられればいいと思っただけだ。

 ぼくらはそれからしばらく無目的にぶらついた。宝飾品店やブティックに立ち寄り、露天商が並べるシルバーピアスや粘土細工のパイプを手に取ってみたりした。そんなとき、向こうから浮浪者風の男が歩いてきた。こぎれいな道で早足に歩く、この痩せた中年男をぼくはつい目で追ってしまった。白髪混じりの頭髪は伸び放題で、まるでライオンのたてがみのように八方に広がっている。ひげも生え放題で、なぜか薄汚れたベージュのジャケットを着ている。風貌とは不釣合いなそのジャケットの肩が突っ張っていて、男の痩せ方はいっそう引き立ってしまう。

 テニスシューズをはいて大またに歩いてきた彼とすれ違う瞬間、ぼくは自分の目を疑った。急につまずいたように立ち止まった男は、よれよれの綿のズボンを両手でくるぶしまで下ろしたのだ。もしかしたらずれてきたズボンを直そうとしたのかもしれない。でも何も白昼堂々そこまで下ろすことはないんじゃない?あっけに取られるぼくを尻目に、男はすぐズボンを上げ、さっきと同じ軽い足取りで歩き去った。ぼくは思わずレイコさんの反応をうかがったが、彼女は本当に見ていなかったのか、それとも見て見ぬ振りをしているのか、「何もなかったし、そんな変な浮浪者なんていなかった」というふうに同じペースで石畳を歩き続けた。だから驚きをわざわざ彼女に知らせるようなこともしなかった。大都市にはいろんな人がいて、常にいろんな出来事が起こって、それにいちいち注目したりしていてはとてもじゃないけど1日24時間だけでは足りないに違いない。

 特に入りたい店がなければ、ぼくらはそのまま車で家に帰ろうと考えていた。でも歩いているうちにMIX UPという名前の大きなCDショップにぶつかった。ぼくはここを7年前に訪れたことがある。当時ダンスに夢中だったチェケに頼まれ、ある曲の12インチシングルレコードを買ってオアハカまで持ち帰ったのだ。複雑にリミックスされた曲を受け取ると彼は振り付けを考え、仲間と練習に励んだ。その数週間後にはあるダンスコンテストに出場し、優勝はできなかったけれどその日のファイナリストに選ばれた。ぼくはそんなことを思い出しながら、そんな元ダンサーのフィアンセとなったレイコさんと一緒に大きな店内に吸い込まれるように入っていった。

 ぼくは大きなCDショップを見つけると無性に入りたくなる性質で、いつも1時間や2時間はあっという間に過ぎてしまう。だから普段は約束の時間を決め、何時までに店を出ないと間に合わないという状況を作ってから店に入ることにしている。そうしないといつまでたってもCDの陳列棚から離れられない。でも今回は、「ゆっくり、見ていいよ」とレイコさんが言った(言ってしまった)。だからその厚意に甘えることにした。だいたいメキシコまで来ておいてCDショップでじっくり過ごす人もいないだろうが、ぼくは他の国へ行くと結構同じようにある程度の時間を費やして地元の音楽情勢を把握しないと気が済まない。

 時間の許す限りメキシコやラテンアメリカ音楽のコーナーを何度も行ったり来たりした。でもそこにあるのは東京のラテンコーナーと比べ、ただ少しだけランチェロやアイドルものが多いという程度の量が並べられているだけだった。店内で幅をきかせているアメリカやイギリスのMTV系の音楽に比べ規模が小さく少し拍子抜けだが、よく見ると日本では置かれることのない古いCDやものすごくローカルなグループのCDもしっかり混ざっていて見るべきところはある。

 ぼくは店内に掲げられたオリジナルランキングに目を留めた。1位から10位までディスプレイされた中の半分ほどは、ぼくがメキシコに暮らしていた頃には第一線で活躍していた歌手やグループで、「この人たち、まだ頑張っているんだな」と妙に親近感が沸いてきた。メキシコではアーティストの息が比較的長い。ヒット曲もかなり長期にわたりメディアで流されるようだ。でも日本ではそんなふうには続かない。2年間の留学を終えて日本に帰った1993年、ヒットチャートにいる日本のアーティストががらっと入れ替わっていてそのあっけなさに戸惑った。はっきり言ってサザン・オールスターズ以外誰も知らなかった。でもメキシコではそういう戸惑いは少ないみたいだ。6年ぶりでも知っている人がちゃんとテレビに出ていて、ヒットを飛ばしている。

 少しミーハーだけど並べられたランキングの中からアレックス・シンテックのベストアルバムを選び、さっき見つけたキューバ人歌手シルビオ・ロドリゲスのアルバムと一緒に買うことにした。この2枚を買えば自由に使えるペソは終わりだと暗算した。手元にペソが残っても、明朝空港までタクシーに乗る以外には使い道がなくなるから、MIX UPで最後の帳尻合わせができてよかったのだ。

 ぼくが長い時間を過ごしたラテンコーナーのすぐ背後が少し騒がしくなった。そろそろCDを探すのに疲れてきたので、人が集まっている大きな円柱のところに目をやった。そこでは制服を着た店員の少年たちが興奮した表情でドタバタ走り回っている。みんな高校生ぐらいだろうか。

 「よし、ここで1枚一緒に撮ってもらおうよ」

 上気した声で口々にそんな相談をしていて、どうやら自分たちが店員であることを忘れるほどの重大なことが起こっているようなのだ。その輪の中にいたのは幼さと女らしさが同居する10代とおぼしき女の子だった。見たことのない顔だけど周りの騒ぎ方からして明らかに芸能人だ。赤茶色のロングヘアーで、他のあらゆる芸能人と同じようにやっぱり肌が透き通るように白い。スリムなジーンズとTシャツで清潔なイメージだけど、とびきりの美人というわけではない。笑顔が底抜けに明るくて、見ているだけで元気が出る、そんな女の子だ。一言で言えば「花」があるのだ。

 少年たちは柱にもたれるようにして微笑む彼女を囲み、フラッシュが光るといっせいに歓声を上げ彼女と握手したりガッツポーズをしたりした。仕事を忘れるのもうなずける。だってぼくがかりに高校生で、バイト先にテレビでしか見たことがないアイドル歌手がふらっとやってきたとしたら、そんなに好きでなくてもやっぱり興奮しただろう。おそらく何かのプロモーションでMIX UPを訪れたこのアイドル歌手は、すぐ横のカウンターに貼られたポスターと同一人物だった。実物とポスターの彼女を見比べてぼくは「やっぱりな」とうなずいた。

 2枚のCDの会計を済ませて店を出たぼくは、手持ちのペソが底をつき、いよいよ出発の瞬間が近いことを実感した。夕刻を迎えたソナ・ロッサでは、たくさんのバーやクラブを求めてドレスアップした男女が集まり、少し危うい雰囲気さえ漂い始めている。人ごみの中にはぼくらの他にも外国人がぽつりぽつりと交じっていて、ラフな格好で所在なさそうにさまよっている。ここではたぶんいろんなできごとがいたるところで起こっていて、みんなそれに少し鈍感気味に付き合いながら夜を過ごしていくのだろう。すべてを飲み込みながら街はあわただしく呼吸し続け、ただライトアップされた独立記念塔の頂にいるアンヘル(天使)だけが何もかもを黙って見下ろしている。

  


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