第29話 「明日の連続テレビ小説を今日見るということ」

オアハカで見つけたマリアッチの楽団を、ぼくはレイコさんに見せびらかした。

 レイコさんの家は、少し「奇妙」な居心地がする。決して悪い意味ではなく、むしろとても好きなタイプの部屋だけど、何かが不思議で少し妙だ。その理由は彼女が座布団を床に敷いた瞬間にやっと分かった。メキシコの中心にありながら、部屋全体が限りなく「日本」を志向しているのだ。土足厳禁の床にじかに座り、しっかりとくつろぐことができる。テレビではNHKが流れ、読売新聞がニューヨークから衛生版で届く。本棚には日本語の小説や辞書、ガイドブックが並び、出されるお菓子が醤油味だったりする。とにかく「妙」に落ち着けるのだ。寝るときとシャワーを浴びるとき以外は靴を脱がないはずのこの国で、裸足になれるだけでもリラックスできる。そしてぼくらはもちろんいつもと同じように日本語でいろんな話をした。

 お互いの仕事のこと、オアハカにいる共通の知人のこと、グスマン家のみんなのこと、そしてやっぱり彼女とチェケの結婚のこと。バンケットホールを借り切って開く披露パーティーには、100人ほどの出席者を見込んでいる。でもバランスから言って圧倒的に新婦側の知人が少ない。日本からやってくる家族をのぞけば、確実にオアハカまで来られる人は少ない。その話を聞いて、グスマン家のみんなに声を掛けてみればとぼくは提案した。当日オアハカまで行けないのは残念で仕方がないけど、彼らが代わりに行ってくれていると思えばそれだけでホッとする。そしてレイコさんは「そうか、それいいね」とさっそく人数の計算を始めた。ぼくとレイコさんとはお互いのホストファミリーを紹介しあい、まるで自分の家みたいにお互いの家を行き来していた。だから、グスマン家は彼女にとってなじみが深い家族なのだ。

 「ところで」と言ってから、レイコさんはコロナド家のおばさんに会ってきたのかとぼくに尋ねた。コロナド家は彼女がオアハカで一緒に暮らしていた家族だ。でもその問いにぼくは時間を見つけられなくて会えなかったと答えるしかなかった。レイコさんとグスマン家の付き合いと同じぐらい、ぼくとコロナド家の付き合いは深いはずなのに、今回はみんなに会えなかった。

 「おばさん会いたがってたよ。来るって言っちゃったし。何年ぶりかしらねって楽しみに待ってたんだから」

 オアハカにレイコさんがいた頃、ぼくは何度もコロナド家にお邪魔しては昼ご飯をごちそうしてもらった。お菓子とパーティー用品の店を営む一家は、ぼくの知る中でオアハカ一美しい家に住んでいる。庭の芝生は乾燥した気候にもかかわらずびっしりと緑に生え揃い、同じ長さで几帳面に刈り込まれていた。フォルクスワーゲンはメタリックブルーの車体を日光に反射させ、まるで何かの飾りのように広い庭の端に駐車されている。そんな静物画のような風景を見ながら、テラスで牛肉の炭焼きをごちそうになったりした。軒下にはハンモックがさりげなく掛かっていて、食後にはそれにくるまって休ませてもらう。

 「声を聞かせるだけでいいから、電話してあげて」

 そう言ってレイコさんはオアハカまでダイヤルし、おばさんと軽く挨拶してからぼくに受話器を渡した。会わなかったのにどんな言い訳をしようかと慌てたが、言い訳なんて何もできない。

 「今、どこにいるの?いつウチに来るの?え、明日日本に帰るって?そんなのないでしょ。お昼ごちそうしようと思って楽しみに待ってたのに・・・」

 おばさんは高く裏返った声で「アーーーイ!」と気が遠くなるように長いため息をついた。本当に申し訳ないことをしたんです。オアハカに行っておいてコロナド家の門を叩かないなんて。

 「ごめんなさい。今度は絶対に寄るから。今回は久しぶりにオアハカに行ったけど、これからはもっと頻繁に来るようにするから、そのときはまた昼ご飯をごちそうしてください」

 たった2、3日いるだけでは、できることとできないことがどうしても出てきてしまう。この旅に限って言えば、ぼくは失礼を承知でコロナド家訪問をスキップした。やむを得ず会わなかったのは他に何人もいる。学校の先生たちにだって会いたかったし、お世話になった内科のファウスト先生にも本当は挨拶に行くべきだったのかもしれない。でもグスマン家のみんなと数人の友だちに会うだけで時間は切れてしまった。まるで花火の導火線が燃え尽きるみたいに、本当にあっけなく切れてしまったのだ――。

 テレビでは日本の昼のニュースが流れている。こちらはまだ日曜の夜なのに、時差のせいで翌日、つまり月曜日の番組が放送されているのだ。とっくに盆休みが明けている日本では、真夏のうだるような暑さが続いているらしい。だけどブラウン管から流れる情報は、どれをとってみても今のぼくには現実味がない。スーツ姿のアナウンサーと単調なトーンで読み上げられるニュース、白い数字で画面片隅に小さく表示された時間は正午過ぎを差している・・・。平日特有の目まぐるしく入れ替わるニュース映像を眺めていると、ぼくは何だか気が重くなってきた。億劫だけどこれから飛行機に乗って、半日以上先を忙しく走る「あの時間の流れ」に追いつかなくてはならない。

 「メキシコに来てから、仕事のことや日本のことをいくら思い出そうとしても、うまく思い出せなかったんだ。ぼやっとしてイメージがうまく結ばない、まったく別の世界のことみたいにね・・・」

 そんな感想をぼくは率直に口に出してみた。レイコさんはただ「いいことだよね、それは」とだけ相槌を打った。たぶん気分転換が適切に行われた、そしてそれは間違いなく良いことだという意味だ。でも当事者のぼくにとって、その現象は「気分転換」以上の重みがあった。帰る先が日本であること、夏休みがもうすぐ終わることを事実として一応は理解している。あのブラウン管の向こうの国で、ぼくは間もなく生活を再会させるはずなのに、実感がまったくともなわない。この5日間で何か大事な記憶がすっぽり抜け落ちたようで、少なからずぼくは混乱に陥った。

 午後10時45分。NHKの連続テレビ小説が始まり、レイコさんはあらためてテレビに向き直った。彼女は毎日寝る前に放映される「明日付け」の連ドラを楽しみにしている。ぼくは翌朝の早起きに備え、ドラマを途中で切り上げて風呂に入ることにした。

 「シャワー、なかなかお湯にならないから、しばらく出しっぱなしにしておいて」

 バスタオルを差し出しながらレイコさんはそう教えてくれた。寝室で軽く荷物をまとめ、風呂場へ入ってからも、ぼくはさっき感じた「心の揺れ」について頭を整理できないままでいる。もしかしたら日本を離れメキシコに住むことを思い立ったレイコさんが、ただうらやましかっただけなのかもしれない。

 メキシコシティーの夜は8月なのに、相当に涼しい。蒸気がこもらぬよう小窓が開け放たれた風呂場はむしろ寒いくらいだ。言われたとおりぼくは水がお湯になるのを待って、それから身体を洗い流し、歯を磨いた。「おやすみなさい」と居間のレイコさんに声を掛けてから、広いダブルベッドに身体を滑り込ませる。軟らかすぎず硬すぎないこのベッドは、最高の寝心地だ。目覚まし時計を4時半にセットし電気を消すと、ぼくは風船の空気を抜くみたいに体中の力を残らず抜いて目を閉じた。そうすればいろんな疲れが、背中やふくらはぎからベッドにしみ落ちて、瞬時に消え散っていくはずなのだ。

  


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