第30話 「英語、話しますか?」

村から集まった人達が直接野菜を売る市場は日本にはない野菜も多く、見ていて絶対に飽きない。

 集中した睡眠はたとえ5時間程度でも目覚めがいい。目覚まし時計の音とともにベッドから飛び起きてぼくは顔を洗った。居間で座っていると、しばらくしてからレイコさんが起きてきてくれた。「よく起きたね」と言われたけど、ぼくは結構朝に強いのだ。そう言う彼女の方こそ会社に行くまでの間少しでもゆっくり眠っていたいはずなのに、嫌な顔一つ見せずコーヒーを入れ、電話でタクシーを呼んでくれる。5時前。窓から見える街は真っ暗で、ぼくはこの街が目を覚ます前にこっそりと空港へ向かう。

 家を出てすぐぼくは1つすごく近所迷惑な失敗をした。エレベーターの前があまりに暗いので電気のスイッチをつけたつもりが、低くびりびりした音が鳴ってしまったのだ。それは同じ階の家のブザーだった。ぼくは朝の5時にまったく見ず知らずの家の人を起こしてしまったかもしれない。どうしようかとあたふたしているうちにエレベーターが到着し、ぼくはドアから顔をのぞかせるレイコさんに身振りで謝った。「何とかするから大丈夫」という表情を見せてから、彼女は小さな声で「じゃあね」と手を振った。ぼくも同じように小さな声で「じゃあ」と応えた。夜明け前の廊下は静か過ぎて、お別れを言うにはそんなささやき声だけでじゅうぶんだ。

 1階では門番の男がまだ仮眠しているところだった。窓際のちょっとした台の上で横になり丸くなっていた彼は、ずんぐりとした体形をしていてぼくに熊を思い起こさせた。エレベーターから下りてドアに近づくと、大きな身体をむっくりと起こし、扉の鍵を開けてくれた。頑丈に鎖が掛けられた扉は、この男によって夜通し守られている。そしてこの日1番にこの扉を出て行くのがぼくであることは間違いない。

 玄関の階段を下りて外へ出ると、今度は「おはようございます」と車のそばから運転手が現れた。白髪交じりの髪をオールバックになでつけた運転手は、ぼくが出てくるのを待っていたのだ。空港タクシーのあの粗野な運転手とは正反対に、紳士的で丁寧な対応が気持いい。後部座席にもたれながらぼくはまったく車のないだだっ広い道をぼんやり眺め、運転手の話に適当に相槌を打っていた。人口が密集したこの街では、交通量を減らすためにそれぞれの車に乗ってはいけない日を設けている。レイコさんの車にも週に1日だか2日は乗ってはいけない日があって、地下鉄による通勤を強いられているという。だけど夜明け前のメキシコシティーは他に車が見当たらず、多すぎる車線の中を走るのがかえって心細い。

 空港に着いても、夜はまだ明けなかった。このベニートフアレス空港は国内線と国際線で空港がつながっていて、とにかく通路が長い。そして天井はめまいがするほど高い。ぼくはそんな長くて広いフロアーをコインロッカーまで歩き、営業しているのを確認してやっと一息つくことができた。さんざん24時間営業かどうか確かめて荷物を預けたのに、やっぱりどこかに不安があった。それはまるで小さなとげのように引っかかっていたのだ。荷物を取り出すと、ぼくは重いスーツケースを転がしながら、ゆっくりと歩いてデルタ航空のカウンター目指した。朝から忙しく動きまわる航空会社の職員、黙って仕事をこなす床清掃やポーター、背筋をぴんと張って歩くスチュワーデスやパイロットに混じって、ぼくは間もなく出国の瞬間を迎える。

 名札を濃紺の制服の胸にした少し年下ぐらいの女性が、チェックインの手続きを担当した。こういう職場には肌の白い人が多く、彼女もやっぱりそうだった。細い銀色のフレームの眼鏡を掛け、カールした栗毛を後ろで束ねている。知的な顔をしていて、伏目がちにコンピューターの画面を見る表情は、これ以上ないだろうというぐらい完璧なエリート顔をしている。ぼくがチケットとパスポートを渡してからというもの、ほとんど言葉を交わすことのないまま手続きを進めていたが、彼女は席を決めるときになって不思議なことを聞いてきた。

 「お客様、英語は話されるでしょうか?」

 少しはスペイン語で話していたはずなのに、どうして今さらそんなことを聞くんだろう? 英語で応対したほうが外国人はスムーズにコミュニケーションが取れると決めつけたのだろうか。今までもこんなふうにして、なまった英語の説明に付き合わされてきた。

 「こちらは英語でもスペイン語でもどちらでも構わないですよ」

 どうせスペイン語は話せないだろうと思われると、ぼくなんかはできる限り早口でスペイン語を話そうとしてしまう。大人気ないのは分かっているけど、そのときの何とも言えない気まずそうな彼らの顔を見るのは楽しいものだ。ところが彼女はぼくの予想を裏切り、まったく何事もなかったかのようにそれまでと同じビジネスライクなスペイン語で席を決め、搭乗時刻とゲートの場所を説明しながら搭乗券を差し出した。英語で説明が始まるのだろうと待ち受けていたから、いささか拍子抜けしてしまった。

 「お気をつけて」

 結局英語は出てこなかった。ん? 彼女はいったいどうして「英語が話せるか」なんて聞いたんだろう?

 機内へは予定より2時間ほど遅れてやっと入ることができた。それまでに何度も出発ゲート変更のアナウンスがあり、今か今かと搭乗するのを待っていた乗客たちは、その度にぞろぞろと大移動を繰り返した。最初の1、2回は真面目にアナウンスに従って移動していたぼくも、途中からばからしくなってスタンドでサンドイッチを食べたり、お土産を見たりしながら、集団の最後尾にだらだらとついて歩いた。みんな朝早くから無意味に歩かされてぐったりだ。職員に「いつになったら出発するのか」と詰め寄る気力さえ起こらない。こんなに遅れるなら最初から言ってくれればいいのに。そうすれば4時台に起きなくて済んだのだ。でもこの間延びした待ち時間のおかげでぼくは、「セビジャナス」というお菓子を買うことができた。山羊のミルクで作ったキャラメル菓子は、日本でお土産として配るにはほどよい「珍しさ」のはずだ。

 飛行機の遅れによる疲れや眠気があっという間にかき消されたのは、機内に入り、席に着いて間もなくのことだ。スチュワードが緊張した面持ちで席までやってきて、ぼくの周りに座った乗客に声を掛け始めたのだ。

 「ここは英語を話す人専用の席となっています。お客様、英語話されますか?」

 「はい」

 「お客様は?」

 「話します」

 こんなふうに早口の英語で質問が始まり、ぼくはよく事情が飲み込めないままじっと座っていた。スチュワードは40代半ばぐらいの背の低いおじさんで、使いこまれた低くよく響く声で、余計にその場の空気が引き締められていく。よく見るとぼくの座った列にはメキシコ人らしき人はいない。ぼくの右に座った人もアメリカ人らしく、スチュワードの「Do you speak English?」という言葉に、当たり前のように「I do.」と答えていた。スチュワードは黒ぶちの大きな眼鏡を、時折神経質に持ち上げながら、客とのやりとりを次々にこなしていく。

 ぼくはこんな確認作業が行われる理由を自分なりに考えてみた。デルタ航空はアメリカに拠点を置く会社で、当然乗組員のほとんどはアメリカ人だ。ということはスチュワーデスやスチュワードの中にはスペイン語の話せない人がいるはずだ。だから乗客をある程度スペイン語同士、英語同士で固めることによりサービスをしやすく工夫したのではないか。そうすればこのブロックを担当する人はまったく言葉の心配をすることなしに、英語でドリンクや食事について聞けるわけだ。

 アメリカ人、メキシコ人をそうやって分けるのは簡単だ。だけど日本人のぼくにどの席を割り当てるかは微妙なところになってくる。そこで空港のチェックインカウンターの女の子が、ぼくに英語を話せるかを聞いたとすれば納得できる。そして話せると答えたぼくを比較的少なかったアメリカ人チームの助っ人として抜擢した――。

 でもそんな脳天気な推測がまったくもって間違っていたことを、間もなくぼくは知ることになる。前の列に座った客が、スペイン語でその声のよく通るスチュワードと話し始めたのだ。客はメキシコ人だった。

 「私はメキシコ人なので、そんなに英語を話せるわけではないんですが」

 そう切り出した客はどうやら並びで座った夫婦で、話しているのは男の方だ。スチュワードはどうみてもアメリカ人なのに、まったくスピードを変えずに今度はスペイン語で話し始めた。

 「でも、こちらが英語で指示を出せば、たいていのことは分かりますよね?」

 「それぐらいはできると思います」

 「だったらいいんです。緊急時に必要になるかもしれないので、こうやって念のため聞いて回っているだけですから」

 彼らの会話を聞いて、ぼくはやっと自分の席がどういう席なのかを理解した。非常口に近いこのブロックに座った客は、万が一飛行機が不時着した場合、乗組員とともに他の乗客の脱出を助けなくてはならないのだ。そして緊急事態では、たとえバイリンガルの乗組員であっても母語の英語で叫びながら指示するであろうことは簡単に想像できた。つまり空港のチェックインのとき、カウンターの彼女が「英語話しますか?」と聞いたのは、興味本位ではなく、ものすごく大事な質問だったのだ。

 眼鏡のおじさんが離れてからも、真面目なぼくは何だか少し緊張したまま、不時着した飛行機の非常口で英語の指示を 受けながら他の客の脱出を助ける自分の姿を想像していた。離陸前に非常用設備や緊急事態の脱出方法などの説明がビデオで流れても、それまでは本を読み続けたりしていたのに、今回ばかりはそんなふうに軽く受け流すことができない。たとえ事故が起こるのは極小さな確率でも、リスク管理を怠ってはいけない――まさにその通り、そのことに異論をさしはさむことはできない。

 気付いたら、ぼくはメキシコを上空から眺めていた。窓から見る巨大な街はかすんではっきりとは見えなかった。でも5日前の着陸時に見た静かで幻想的な夜明けの光景とは違い、少し親しみが持てる気がした。少なくともメキシコの旅はこれで終わったことをここで初めて実感する。あとはロスで1度乗り換えて成田へ向かうだけだ。でも何だかまたすぐに戻ってきそうな気がして気持はすごく軽い。早起きのせいか、出発を待ち疲れたせいか、それともこれまでの旅の疲れのせいか、しばらくしてぼくは眠りについた。乱暴に空気を切る飛行機特有のノイズもこのときばかりはまったく眠りを妨げなかった。

  


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