第31話 「フロールからの手紙 前編」

タスコは石畳が多く、ほとんどの道は細くて一方通行だ。

 デルタ航空の飛行機が成田に着いたのは8月29日の午後3時過ぎ。まず腕時計の日付を1日進め、機内アナウンスに耳を澄まして時間を合わせた。日本はメキシコより14時間だけ夜が明けるのが早い。そのことを自分の体に言い聞かせるのだ。

 空港からリムジンバスとタクシーを乗り継いでぼくは家を目指した。外は蒸し暑く、汗で背中にシャツがへばりついてしまう。手織りのシャツや毛糸のポンチョ、唐辛子の缶詰なんかがぱんぱんに詰まっていてスーツケースは相当重く、アパートの階段を上がるだけでも一苦労だ。長いフライトから解放されて部屋に戻ったぼくは、やっとの思いでシャワーを浴び、ずっと着けていた紐のブレスレットを左手から外した。サント・ドミンゴ教会の前で、少年から買ったあのブレスレットだ。固い結び目をほどきながら、旅の一部始終が終わったことをぼくはかみしめた。濡れたブレスレットは紺色と山吹色が鮮やかに発色し、素肌に当たると冷たかった。

 ぼくが帰国した4日後にキオはやっぱり大きな荷物を抱えて家に戻ってきた。ぼくらはものすごく久しぶりに会ったみたいに息せき切ってしゃべり始めた。ぼくはチェケやレイコさんと会った時のことを、キオはタスコでのことを。メキシコシティーでぼくと別れてタスコへ向かったキオとアチャには、変わらぬメルヘンチックな街並が待っていた。オレンジ色で統一された屋根、白い壁、石畳の細く曲がりくねった道。家々からブーゲンビリアが咲きあふれる坂の多い街。

 そこで遭遇した幻想的な光景のことをキオは話してくれた。ボルダ広場に面したカフェのベランダでサンドイッチを食べていたときのことだ。人通りが少なくなり始め、サンタ・プリスカ教会のライトアップも終わっていたから夜9時を回ろうとしていただろうか。広場の石畳はフォルクスワーゲンのヘッドライトとレストランの明かりだけが黄色く反射しているだけだ。

 唐辛子を取り除きながらゆっくりとサンドイッチを口に運んでいたキオは、白い雲が空に浮かんでいるのに気付いた。店に入った頃にはなかったはずのその雲はかなり低いところにあるように見える。外気はひんやりと冷たく、ベランダから真向かいの教会までは空間が大きく開いて、胸がすくようだ。そのまま上を見上げていると、ずっと遠くにあったはずの雲がみるみる高度を下げ、40メートルもある教会の双塔まで降りてきたかと思うとそのずっと下にあるドーム型の屋根にかぶさった。ここまでくると雲は形を失い、ふんわりとした白い冷気に形を変えていた。ちょうど冬の白い息のように。キオとアチャは顔を見合わせ、そして黙って教会が白い空気に包まれていくのを見守った。やがて2人の座るベランダも、階下にあるボルダ広場もやわらかくて深い霧で包まれ始めたのだ。雲が空から降りてきた瞬間だった。そのときキオとアチャは雲の中にいた。

 それはまるでスローモーションを見ているようだった。2人はしばしベランダから白くかすむ広場や教会を眺め、ただ「おとぎ話みたいだね」と一瞬のできごとに息をのんだのだ――。

 途中ひどい雨に降られて街じゅうの道が水であふれたこともあった。斜面に通る道という道が雨水であふれかえり、足止めを食らった2人にはレストランの窓から黙ってそれを見守るしかなかった。激しい音とともに大粒の雨は地面で小さな滝に姿を変え、細い路地をそっくりのみこんで町の下へ下へと流れていった。その光景も現実離れした、何か別世界のことのようだったという。標高1800メートルの山に開けたタスコでは、空はいつも気まぐれだ。おかげでしばらく動けなくなったけれど、何とか3日間の滞在で目あての銀の店は全て回れたみたいだ。気に入ったデザインのアクセサリーがたくさん手に入って、キオはとにかく満足そうにしている。

 一緒にタスコに行ったアチャはホテルをチェックアウトする日、ベッドにしがみついて「帰りたくない」と言い出したらしい。気持ちはよく分かる。ぼくは1度しか行ったことがないけれど、タスコはどこを切り取っても風景画みたいだし、ライトアップされて浮き上がる夜の教会なんて限りなくロマンチックだ。それにホテルのパティオで毎朝食べる卵料理ウエボス・ランチェロスが最高においしかったという。絞りたてのオレンジジュース、トマトソースのかかったウエボス・ランチェロス、そしてフルーツの盛り合わせ。そんなの絶対においしいに決まっている。どの写真を見ても、アチャはこみ上げてくる笑いを必死でこらえている。

 「夏のメキシコ旅行はこれまでで最高に楽しかったですね」とアチャはぼくに言った。「うん?それって人生の中でベストってこと?」「はい」「つまり、新婚旅行より?」「うーん、そういうことになりますねえ」。ぼくらは数ヵ月後再会してこんな奇妙な会話を交わしていた。一緒に行けなかったキオの弟(つまりアチャのダンナ)には悪いけど、アチャはメキシコが大好きになったみたいだ。そして帰国後まもなくしてから彼女が大阪にある語学学校に通い始めたことを知った。もちろんスペイン語を勉強するために、だ。

 ぼくはと言えば、やっぱり毎日満員電車に揺られて会社に通う日々を送っている。7時前に起床。ボーッとした顔を冷たい水で洗い、あわただしくYシャツに袖を通す。パンをほおばりながら新聞に目をやり、皮靴を履いて家を出る。夏休み前と同じ7時47分の電車に乗り、夏休み前と同じ駅で降りる。帰国した翌日からぼくはこんな生活を再開させた。だけど驚いたことに、まったく旅の疲れを感じることはなかったのだ。時差やハードスケジュールを乗り越えても、身体は気持ち次第で何とでもなるらしい。

 ただ、ぼくの住む町にはぼんやりとひなたぼっこができるカフェがない。石畳を歩きながらふらっとバーに踊りに入ることもできない。排気ガスを吐き出し、やかましいエンジン音を立てて加速する市内バスもない。そんな些細なもののひとつひとつが近くにないという圧倒的な欠落感に、ぼくはふとした瞬間取り囲まれる。そしてそうなるであろうことを、成田空港に降り立つ前から知っていた。いやおそらく旅立つ前から。

 そんなある日、会社から帰宅すると大きな封筒がポストに入っていた。カセットテープが同封された手紙はオアハカで再会したフロールからだった。ぼくがオアハカにいたあの夏、彼女も留学先のニューヨークから偶然里帰りしていた。でも今はお互いオアハカを離れて元の生活に戻っている。彼女は、大学院の勉強で忙しい合間をぬって手紙とカセットを送ってくれたのだ。

 文面には1つも抜け落ちることなく丁寧にアクセントが打たれていて、その完璧さがぼくを安心させる。手紙にはぼくがオアハカを出発した日、グスマン家まで見送りに行ったと書かれていた。でもぼくはその日彼女に会わなかった。

 「探しても家が見つからなかったの。そこには見たことのないホテルがあってね。結局のところオアハカを離れた私にとって、ふらっと行けばどこにでも行けるなんてことはもうないのかもね…。」

 あのしっかり者のフロールがたどり着けなかったなんて・・・。確かに細かいところで街の様子は少しずつ変わっていたのかも知れない。

 「でもまあ、日本の住所も持っているしメールでも連絡できるからって、ちょっと自分を落ち着かせたの。4日間だけオアハカに帰って、何もかもやろうとしたから、何が何だかわけが分からなくなったみたい。分かると思うけど」

 あの夏、彼女もぼくとまったく同じように、ごく限られた時間で多くの人に会い、いろんなところを動き回り、好きな物を食べた。学校では後期の授業が始まり、また勉強に追われる毎日が続いているみたいだ。ぼくは手紙を読みながら、仕事に追われる日々を過ごす自分と彼女の生活を重ね合わせた。夏が終わりニューヨークへ戻った彼女、そして日本に戻ったぼく。2人にとってオアハカでの3日間は、まるでお祭りのようににぎやかで目まぐるしく、あっという間に過ぎ去ったできごとだった。そして夏が終わった今、ぼくらはニューヨークと日本から次の祭りを心待ちにして暮らしている。

 手紙を読みながら聞き始めたカセットテープからは、ギター1本による弾き語りが聞こえてくる。ぼくとフロールの両方が大好きなキューバ人歌手だ。細くて高い男の声は、時に切なく時に激しい。新旧織り交ぜられた選曲は知っている曲と知らない曲が半分ぐらいずつ混ざっていて、そのバランスが聞いていて心地良かった。「へー、この曲フロールも好きなんだ」という具合に楽しめるからだ。

 フロールは故郷のオアハカを離れ、現在ニューヨークで暮らしている。もちろん今は勉強のためだけれど、最終的にオアハカに戻るかどうかははっきり分からないという。果たしてそこで吸収した知識がオアハカで生かせるかどうかは疑問だ。そして何よりもいろんな世界中のいろんな学生に知り合い、たくさんの刺激を受けたに違いない。フルブライト奨学金を勝ち取ったほどの彼女なら、ニューヨークで仕事を見つけることぐらい朝めし前のはずだ。「今から半年たったらオアハカに戻るか、もう2年ニューヨークに残るか決めるつもり」と打ち明けた彼女は、自分の生まれた町を本気で離れようとしているのかも知れない。揺れ動く彼女の気持ちがぼくには手に取るように分かる。そして手紙は「すぐに返事を書いて」と締めくくられていた。 


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