第5話

師匠おすすめのマシーンは何と5kg以上もあった
シルビオ通信

ちょっと身内の話をします。僕の父親はギター弾きでした。教室まで開くほどかつてはうまかったらしいのですが、僕が小学生の頃、どうしたわけかぱったりとやめてしまいました。今思うとその理由として二つのことが考えられます。一つはクラシック音楽自体が譜面通りに弾くもので、自らを自由に表現するには窮屈だったこと。二つ目は勤め人をしながら頂点を極めることに限界を感じ、あまりに没頭したギターと経済的にどうしても必要な仕事を両立できなくなったこと。僕ら兄弟を養いながら、プロでやっていくのは限界があるし、かと言ってただのおじさんの趣味とするにはあまりにいれ込んでいた。そして父はギターをすっぱりとあきらめたのです。(つづく)

 その週末、僕はちょっとした怪我をした。滞在先のグスマン家には犬が二匹いて、僕はひまを見つけては彼らをからかって遊んでいた。若い方の犬はフィスという名前で二歳の雄、耳がたれた洋犬で残念ながら種類はわからないが、とにかく威勢がいい。あるとき僕が歩いていると、後ろからフィスが突進してきてふくらはぎのあたりに乗りかかり、その勢いでコンクリートの段差に思いきりつま先をぶつけてしまったのだ。血が親指の爪の内側にたまり、僕はフィスにし返しすることもできず部屋に戻って倒れこんだ。とにかく痛いのだ。この事件のせいで日本に帰ってもしばらくは左足を引きずって歩くことになる。そして僕はフィスのことを「フィスの野郎」と呼ぶことにした。犬に悪気はないから、誰にも分からないようにこそっと日本語で悪態をつくにとどめておく。

 すっかり歩くのが遅くなってしまったが、それでもグラントルタには何とか時間通りに着こうと僕は火曜日の朝いつもより早く家を出た。約束は十一時、トルティージャを作る機械を見に行こうとエウセビオおじさんがわざわざ休みを返上して来てくれるのだ。

 何とか時間通りに店に着いた僕は店に入ることができずに立ち止まった。シャッターが完全に閉まっているのだ。少しだけ意外な感じがした。メキシコで約束の時間は当てにならないが、おじさんはこれまで僕の到着を今か今かと待っていたし、どちらかと言えば僕の方が待たせる側だった。だから時間におじさんが店にいないのが少しだけ意外だったのだ。

 ソカロではカラフルな風船が宙に浮いて木々の緑をバックに鮮やかだ。午前の日差しで石畳は白く反射している。人はゆっくりと歩き、僕はグラントルタの前で突っ立ってそんな光景にぼんやりと見とれている。タクシー乗り場の向こうから小さなおじさんが僕に向かって手を振っている。あ。エウセビオさんだ。

「車が動かんようになってしもうた。悪いな。これでも走ってきたんやで」

 額に汗が光っている。おじさんは何度も何度もエンジンをかけようとして、そのたびにエンストする車に困ったもんやとけちをつけた。

「ま、とにかく行こか」

 僕らがタクシーに乗って向かったアルテアガ通りの西端にあるその店は、天井が広く、まるで倉庫のような店だった。飲食店用の什器がばらばらと並べてあって、すべて卸値で売っているという。町の中心にある店と比べて半値だから、オアハカじゅうの飲食店関係者はここで食器類やコンロやシンクなんかを買い揃えるらしい。

 お目当てのトルティージャ・マシーンは、店の真中にある棚の一番下の段でこっそりと置いてあった。しかし想像していたよりずっとでかい。おそらく五キロ以上あるその鉄の塊は、ローラーの真中にトルティージャの生地を入れて取っ手を回すだけで円いトルティージャが出てくる優れものではある。ローラーで平たくした後、極細の針金でトルティージャを切り取る仕組みになっていて、確かに便利だ。

「業務用にはこれで手早くどんどん作らんと間に合わんやろ」、おじさんは得意満面で僕のほうを見た。でもこれは日本まで持って帰るには重過ぎるかも。でもこれを持って帰らないと日本でグラントルタ二号店は開けないのかも、と僕は帰国時の荷物の量を頭で計算した。

 僕がその機械の会計をしている間(結局買うことにした)、おじさんはグラントルタのスタッフ用のエプロンを四枚買った。古くなったので買いかえるのだという。

 ソカロを挟んでまったく反対方向にあるこの店から、重いトルティージャマシーンを下げて歩くのは結構大変だった。歩くとやっぱり親指の爪が痛い。でもそんなことはお構いなしにおじさんはどんどん歩いた。おまけに「近くにトルティージャを作って売っている知り合いのおばさんがいるから見に行こう」と僕をある民家の中に連れて行った。

 木の門を開けると二十代から三十代の男たちが五人ほど集まって地べたでトランプをしていた。その真剣さから何がしかの金がかかっているのはすぐに分かる。平日の午前中だが、彼らは仕事をするでもなくただトランプに夢中なのだ。おじさんはみんなに一声かけてさらに奥に入ったが、目当てのおばさんは外出していていなかった。

「エウセビオさん、久しぶりじゃないか」。帰ろうとすると一人の男が立ち上がった。顔が赤らんでいて目がとろんとしている。眠そうでうつろな目だ。「元気にやってるか」そう声をかけながら師匠はポケットから何十ペソかの札を出して男の手のひらにねじ込んだ。男が礼を言い、しばらく世間話をしようとしたが、師匠はそれをさえぎるようにして別れを告げた。男はまた地べたで行われるトランプへと戻っていっき、僕らは再び木の門を開けて外に出た。

「酒は飲むんか?」狭い歩道を並んで歩きながら、師匠は唐突に僕に質問した。

「ええ、まあ少しは」

「俺も毎晩飲んでた時期がある。一晩にボトルを一本空けることもようあった」

「何の酒ですか?」

「バカルディや。コカコーラで割ってな。でももうすっかりやめてしもたけど。今はぜんぜん、飲んでない」

 あのうつろな目の男はおそらく、いやほぼ間違いなくかつての飲み仲間だ。しかし時が流れエウセビオさんは商売で成功し、男はいまだにうだつが上がらないまま賭けトランプに興じている。そして成功した者が昔の仲間に儲けの一部を与える、いやせびり取られている。売れっ子のガイドになった友だちが、同じように昔の仲間に金を与えるところを目にしたことがある。

 重いトルティージャマシーンを右手に下げながら、たとえば十年後、僕はどちら側にいるんだろうと知らず知らずのうちに思いをめぐらせていた。


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