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2003.01.28号(人物)

■■  フリーダ・カーロ ■■

メキシコを代表する女流画家フリーダ・カーロの劇的な生涯を描いたハリウッド映画「フリーダ」(2002年)を観てきました。故郷メキシコでは、台詞が基本的に英語であることや、1984年にメキシコで製作された同名作品との比較で人物描写が薄っぺら等と批判も多かったようですが・・・・。しかし、ベネチア映画祭のオープニング作品に選ばれ、米国グローブ賞でのノミネート(サントラ賞獲得)など、昨今のラテンブームも手伝ってか米国や欧州の評判は上々。そして、日本でも今年中に公開決定!今回は、一足お先にフリーダ特集です。

フリーダ・カーロといえば、一度観たら絶対に忘れられない、力強い瞳の自画像で有名。その瞳には、若くして遭遇した大事故のために一生を身体的苦痛の中で過ごしてきた苦痛、夫であり師でもある画家ディエゴ・リベラとの愛憎入り混じった複雑な感情が投影され、その苦悩や悲しみから逃げることなく、正面から「生」を直視する彼女の姿は観る者を圧倒します。彼女の瞳から発せられるメッセージを理解するには、彼女が生き抜いた激しく濃密な47年間を辿りながら、作品を眺めていくことをお薦めします。

<フリーダの生涯>
(
http://www.arts-history.mx/frida/の伝記を参考にしました)

1907年7月6日、革命の嵐が吹き荒れるメキシコで、フリーダ・カーロはインディヘナの血を引く母親と、ドイツ系ユダヤ人の父親の3女として生まれた。フル・ネームは、マグダレナ・カルメン・フリーダ・カーロ・カルデロン Magdalena Carmen Frida Kahlo Calderon、家族は、メキシコ市の南にあるコヨアカンで写真館を営んでいた。6歳の時、小児麻痺にかかり、右足に後遺症を持つが、性格は勝ち気でおてんば。1922年に入学した高校で、講堂に壁画を描いていたディエゴ・リベラ Diego Riveraを知る。

1926年9月17日、19歳の時、乗っていたバスが路面電車と衝突する大事故に遭い、脊柱を3箇所、鎖骨、肋骨、右足などに損傷を受け瀕死の状態に陥る。また、鉄棒が腰に突き刺ささったことで、子供の産めない体となる。その後、奇跡的に回復し、歩けるようになったフリーダだが、この事故の後遺症により、彼女は生涯、激しい体の痛みに苦しむこととなる。この時期、療養のためベッドので過ごす彼女の唯一の慰めが絵を描くことであり、ここに彼女の画家としての人生が始まる。

事故の様子を描いたフリーダのスケッチ


"Frida y Diego Rivera"
(フリーダとディエゴ・リベラ)

1931年

メキシコの3大壁画家のひとり、ディエゴ・リベラとの本格的な出会いは、彼がロシアから戻り文部省の壁画にかかっていた1927年。フリーダが持ち込んだ絵を評価したディエゴは、彼女を弟子として迎え入れた。その2年後、2人は結婚。フリーダ22歳、ディエゴ43歳の時だった。大きな年齢差と、その体格の差から、『象とハト』の結婚と呼ばれた。2人は共産党員として思想的同士でもあった。

結婚後、ディエゴの仕事(コルテス宮殿の壁画製作)の関係で2人は一時期、クエルナバカに居住。(この頃に最初の流産。)その後、ディエゴは米国の富豪ロックフェラー等からの壁画製作依頼を受け、2人は米国へ渡る(サンフランシスコ、デトロイト、NYで暮らす。この頃2度目の流産。)

1934年、メキシコに帰国した2人はメキシコ市南部サン・アンヘル地区アルタビスタ通りにアトリエ兼住居を構える。

ディエゴを深く愛するフリーダだったが、ディエゴの女性癖はひどく、1935年、フリーダの妹クリスティーナとディエゴの関係が発覚したのを機に2人は別居する。傷ついたフリーダは酒におぼれ、様々な男性や女性と恋をするが、誰もディエゴの代わりにはならず、その孤独感は彼女の絵の主要テーマとなる。


"Mi nacimiento"
(私の誕生)

1932年

"unos cuantos piquetitos"
(ちょっとした刺し傷)
1935

1937年、フリーダはディエゴの頼みで、生家「青い家」に、レーニンとの政権闘争に敗れて国外亡命していた共産主義者レオン・トロツキーとその妻を匿った。フリーダのアルコール依存にはまっていったが、この頃、のちに代表作となる作品を次々と描いている。

"Mi nana y yo"
(乳母と私)
1937年

"Autorretrato con mono"
(猿と一緒の自画像)
1938年

1938 年、メキシコを訪れたフランス人のシュールレアリストのアンドレ・ブルトンが彼女の絵に注目し、世界的な脚光を浴びだす。

"Las dos Fridas"
(2人のフリーダ)

1939年

アンドレ・ブルトンの評価により、その後、フリーダの絵は、シューレアリズムに分類されることとなるが、フリーダ自身は次のように語っている。

「みんなは、私のことをシューレアリストだと考えていたようだけれども、違うわ。私は一度も夢を描いた事はない。私は私自身の現実を描いたのよ。」

"...pensaron que yo era surrealista, pero no lo fui. Nunca pinte mis suen~os, solo pinte mi propia realidad".
同年、ニューヨークで初の個展。 翌1939年には、アンドレ・ブルトンガが主催したパリのメキシコ展覧会に出品。

フリーダは有名雑誌「VOGUE」の表紙を飾る程の名声を博すようになるが、画家としての成功と裏腹に、ディエゴとの関係は悪化していき、同年 11 月二人は遂に離婚する。

1940 年 8 月 27 日、トロツキーが暗殺される。(フリーダは、トロツキーを尊敬し、2人は恋愛関係にあった。)この年の末、フリーダとディエゴは和解し、再婚する。

1942年から日記を始める。そこには、ディエゴへの愛、孤独感、肉体の痛み、世界観、生への賛歌が、様々なスケッチとともに綴られた。

"Autorretrato con chango y loro"
(猿とインコと一緒の自画像)
1942年

1943年からは、国立美術学校で教鞭をとる。その傍ら、国内外の展覧会での出品が続く。


1950年頃からフリーダの健康状態は悪化し、脊髄の手術などで入退院を繰り返すようになり、金属製のコルセットを装着しなければ生活ができないほどの背骨の痛みに苦しめられる。

"Diego en mi pensamiento"
(ディエゴを想う私)
1943年

"La columna rota"
(折れた背骨)
1944年

"Diego y yo"
(ディエゴと私)
1949年

1953年4月、メキシコ近代美術館で展覧会が開催される。これが、彼女が生存中に唯一メキシコで開催された個展となった。この年、右脚を壊疽のため切断し、ほとんど寝たきりに。

1954年、気管支肺炎を患いながらも、グアテマラで起こったクーデターに抗議するデモに参加。その11日後の7月13日、コヨワカンの「青い家」でその生涯をとじた。

夫ディエゴへの愛の苦しみ、肉体的な痛みに耐えながらも、生涯、不屈の炎を燃やし続けた彼女が残したもの…それが死ぬまで描き続けた自画像だったのです。

フリーダの国際的評価が本格的に高まっていたのは、死後数十年がたった1980年代半ばから・・・。

<映画『フリーダ』の感想>

正直言ってしまうと、ちょっと不満が残る映画・・・でしたが、フリーダを知るための入門編の伝記映画、娯楽作品としては、おすすめできます。映像は、メキシコでロケされただけあって、明るく絵画的で、メキシカンカラーに溢れています。フリーダの生家やアトリエも本物そのままに再現されていて、小道具からエキストラまで、見ているだけでメキシコにいる気分に浸れました。サントラも素晴らしく、これまでハリウッド映画でメキシコといえば、麻薬や犯罪の舞台というイメージが強かっただけに、お国の良いイメージアップになったのでは?

ただ、それだけに、映画がスペイン語制作されなかったことが残念。ハリウッド映画だからしょうがない、と言えばそれまでですが・・・でも、セリフに時々スペイン語がまじっていたり、エキストラや挿入歌だけがスペイン語だったりするのを聴いてると、かえって不自然な印象を与えます。

それから、フリーダ役のサルマ・ハエック。入魂の演技でしたが、なんか、一生懸命フリーダになりきっているというかんじで・・・ちょっと力みすぎ?(なんと、36歳の彼女が女学生時代のフリーダまで演じているのには驚き。気合いビシビシでした。)まあ、ジェニロペや、マドンナもこの役を狙っていたことを考えると、彼女で良かったかな、とは思いましたが。フリーダほどの比類のない生、苦しみを経験した女性を演じるには、彼女の重量感は物足りなかった。むしろ、ビジュアル的には似てなかったけど、ディエゴ・リベラ役のアルフレッド・モリナの方が好演してました(ディエゴって根はいい奴じゃん、と思わせた)。

あと、一応、フリーダとディエゴの愛の物語仕立てになっているのですが、彼女の様々な人生の側面(共産党員としての活動や著名人との交流など)をてんこ盛りにして、なんだか彼女の人生を駆け足でなぞっていくだけで終わってしまっているような気がしました。まあ、伝記映画ということで割り切って観ればいいのかもしれないのですが・・・。その意味では、個人的に、1984年にメキシコで制作された作品「FRIDA: NATURALEZA VITA」(ポール・ルデュク監督、オフェリア・メディーナ主演)の方が、全体的にトーンは暗いけど心理描写が巧みで、心に残る名作でした。

最後に、ゴールデングローブ賞を取ったサントラについて。本当に美しい曲ばかりですが、中でも圧巻が「ラ・ジョローナ」(「泣き女」お化けの伝説を題材にしたオアハカ州の民謡)。この曲を歌っている亡霊のようなお婆ちゃん、ただ者ではないっと思いクレジットを見てみると、なんと、「チャベーラ・バルガス」お婆ちゃんではないですか。彼女についてはカフェ・メヒコの「Panchitoのラテン音楽ワールド」Archivo #002「テキーラ45000リットルの伝説〜チャベーラ・バルガスの復活」でPanchito氏が詳しく紹介していますので、そちらをどうぞ。なんでも、彼女は、一時期コヨアカンのディエゴ・リベーラとフリーダ・カロ夫妻の家で彼らと同居していたとか!

<映画データ>

FRIDA
2002年 米国製作
上映時間:1時間58分

監督: ジュリー・テイモア Julie Taymor
原作:ヘイドゥン・エレラ Hayden Herrera
脚本:クランシー・シーガル Clancy Sigal
   ダイアン・レイク Diane Lake
   グレゴリー・ナヴァ Gregory Nava
   アンナ・トーマス Anna Thomas
撮影: ロドリゴ・プリエト Rodrigo Prieto
音楽: エリオット・ゴールデンサール Elliot Goldenthal
 
出演: サルマ・ハエック Salma Hayek (フリーダ・カーロ)
    アルフレッド・モリナ Alfred Molina (
ディエゴ・リベラ)
    ジェフリー・ラッシュ Geoffrey Rush (
リオン・トロツキー)
    アシュレイ・ジャッド Ashley Judd (
ティナ・モドッティ)

    アントニオ・バンデラス Antonio Banderas (シケイロス)
    エドワード・ノートン Edward Norton (ネルソン・ロックフェラー)
    ヴァレリア・ゴリノ Valeria Golino (ルーペ・マリン)
    ミア・マエストロ Mia Maestro (クリスティーナ・カーロ)
    ロジャー・リース Roger Rees (ギジェルモ・カーロ)
    ディエゴ・ルナ Diego Luna as Alejandro (高校生フリーダの恋人)

<フリーダに関する日本語文献>

フリーダ・カーロ―引き裂かれた自画像( 中公文庫)
堀尾 真紀子 (著)
中央公論新社 ; ISBN: 4122033535 ; (1999/02) 価格:¥667

フリーダ・カーロ〜太陽を切りとった画家
ローダ・ジャミ (著), 水野 綾子(翻訳)
河出書房新社 ; ; ISBN: 4309203167 ; (1999/04)、価格:¥3,200

愛と苦悩の画家 フリーダ・カーロ伝記シリーズ 生き方の研究
マルカ ドラッカー (著), 斎藤 倫子 (翻訳)
ほるぷ出版 ; ISBN: 4593533678 ; (1995/01) ,価格:¥1,262

フリーダ・カーロ―生涯と芸術
ヘイデン・エレーラ (著), 野田 隆 (翻訳), 有馬 郁子 (翻訳)
晶文社 ; ISBN: 4794959842 ; (1988/12) ,価格:¥5,806

フリーダ・カーロ 〜1907-1954
タッシェン・ニュー・ベーシックアート・シリーズ

アンドレア・ケッテンマン (著)
タッシェン・ジャパン ; ISBN: 4887830041 ; (2000/08),価格:¥1,000

<メキシコでフリーダの絵を観るなら・・・>

フリーダ・カーロ美術館(青の家)

コヨアカンという 閑静な住宅街に佇むコロニア様式の「青の家」(フリーダの生家で、1941年から54年に死亡するまで夫ディエゴと暮らした)。アトリエや台所、寝室などが当時そのままに残されていて、フリーダの息づかいが感じられます。住所は、メキシコシティ南部コヨアカン地区。

ドローレス・オルメーダ・パテイーニョ美術館

メキシコ市郊外のソチミルコ。    

国立近代美術館 

メキシコ市中心にあるチャプルテペック公園内。フリーダだけでなく、メキシコ近代美術を代表する画家の絵が展示されている。

<おすすめサイト>

http://www.fridakahlo.it/

イタリアのサイトみたいですが英語で書かれてます。
フリーダの絵や写真がバーチャルで見れるサイトへのリンクがとにかく充実!
フリーダの絵を常設展示している、上記のメキシコの美術館の詳しい情報も。
フリーダのことなら、何でもござれ。

(chiaki)


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